魅力

ある日、円覚寺にて (水彩)

久しぶりの「曇り空」。ここ1週間以上ほぼ晴れ、毎日猛暑日でした。そちらはいかがでしょうか。暑さにもだいぶ慣れてきたとはいえ、夕方になるともう疲れて、夜は仕事も勉強もできない。そんな日が続いていました。今日は明け方、雨が降る予報でしたが、予想通り “空振り” ならぬ「カラ降り」の様子。とはいえ、曇っただけでも十分嬉しい。

わたしが魅力を感じるのは、やはり「情熱」でしょうか。どんなものでもいいのですが、機械的ではなく「情熱的」。それが感じられるとき、そのオーラを浴びて自分も熱を帯びてくるように感じます。わたしに力を与えてくれるのです。

それがわたしやわたしの作るものにあるならば、どうやって魅力を持たせるか、なんて考える必要はきっとないのでしょう。情熱を持っているか、どれだけ情熱を注いでいるか、それだけを正直に自分の心に照らせばいいだけなのかもしれません。

AI は何も解ってはいない

円覚寺。こういう描き方の方が好きだな

暑いですね。こちらは今日も最高気温37℃の予報です。エエ~ッ!とかなりそうなものですが、すでに38℃はもうおなじみ。39℃以上も何回かニュース・天気予報で耳にしているのでもう誰も驚かない、というのが驚きです。

時どきAI とチャットします。わたしがAI に慣れるためです。チャットしているうちに、どうもAIって質問されたことの意味が分かってないなあ、と感じることが多くなってきました。単純な質問には驚くほどのちゃんとした文章で回答するのですが、ちょっと細かい部分を再質問したりすると、文章だけが普通で、中身の抜けた“頭の悪い”回答が繰り返し返ってくるのです。しかも「参考になりましたか?」と少し上から目線で。

その意味が、某新聞のデジタル版で読んだ、慶応大学の今井むつみ先生へのインタビュー記事で納得できました。それは簡単に言うと、こういうことです。
「メロンという単語がAIに記録されていても、それは単に統計上の1単語に過ぎず、その意味が理解されているわけではない。しかし、人間にとっては大きな果物とか、甘いとかいろいろな側面を含む経験や事実が、メロンというモノ自体と結びついて「(単語の)意味」を作り上げている(そのことを認知科学では「記号接地」というらしい)。それがAIにはない。(単語の覚え方が人間とは正反対)
 AIは「メロン」という単語の前後に、「統計上」どんな単語が並ぶかを学習しているだけだから、そこから外れると意味不明の文になったりする(記事を短く改変しています)」

やっぱりね、という感じです。画像生成AIでも似たようなことを感じます。最初は「スゴイ!」と驚きますが、何度かやると「思ったよりバカかも」と感じたりします。「考える」って感覚がないんですよね。次々と出してくるだけ。
 考えてみると、新世代コンピューターでも、それ自体は考えているわけではないのですね。ただ、巨大な記憶力を持ち(しかも絶対忘れない)、異様な早さの学習能力が、「統計」という武器を駆使して、「(論理的、合理的な)結論」をいち早く導き出してくれているということなのです。その人間なら1000年もかかるような、複雑な計算を数秒でやるとかね。その演算能力を言語生成に結び付けたのが、チャットGPTだったのですね。そういう素地がすでにあったから、あっという間に普及し始めています。
 AIはあくまで道具の延長です(今のところは)。もともとはわたしたちの「手」であり、その「手」をどう使うかはわたしたち自身の問題です。わたしたちがバカなら、AIは恐ろしい道具になる可能性ももっているわけですよね。

雨が降らない

「カモメたち」 油彩 F120

雨が降りません。(大雨、水害で困っている皆さんには申し訳ありませんが)少しザアッと降って欲しいくらいです。庭のアジサイなど、特に水を欲しがる草花はぐんにゃりと首を垂れてしまっています。

こんなに雨が降らないのだから、首都圏の今年のダムの貯水率はどうかというと、全然問題ないのだそうです。少ないところでも80数パーセント、利根川水系では93%と、天気予報で言っていました。山の方ではわりに降っていたんですね。

しかし、平地で雨が降らないということは、それだけ気温も高くなるということで、毎日毎晩クーラーが使いっぱなしになるということにもなります。グリーンカーテンも水あってのこと。水を汲み上げるにも電気が必要です。適度な雨のあることがいかに幸いなことかと、つくづく感じます。
 目の前に水があってもそれが泥身では飲むことも使うこともできません。洪水であふれた水はただ引いていくのを待つしかありません。温暖化の影響で海水の量は増え、水没する国や地域が出始めています。

異常気象も温暖化の影響があると言われています。日本では2050年までに二酸化炭素の排出量を「実質ゼロ」にする、「カーボンニュートラル」を宣言しています。排出量をゼロにするというのは、植物などに吸収される量と経済上発生する量とを同じにする、という意味で、まったく発生させないということではありません。
 経済産業的にはとても達成の見込みは無さそうですが、皮肉なことに少子化が進み、人口減による産業の衰退が進めば、達成可能であるかもしれません。そういう意味では「少子化対策」と「温暖化対策」とは矛盾しかねません。
 「知恵」を結集することが必要です。知恵のもとは知識、事実を知ることですから、研究をもっと深めることが大切なのは間違いありません。一方で、温暖化そのものの研究だけでは、研究自体も進みません。新しい観測機器の研究・開発も不可欠ですし、あらたな角度からの発想も重要です。どれか一つだけ突出すればいいというわけではないのです。
 でも、日本では特定の研究に、特定の期間しかお金を出さない政策を実施中です。研究費など、日本のGDPから見れば微々たるものですが、それを税金の使途の下位に置く理由は、あえて言えば政治(家)に選挙から次の選挙までの期間より長い、長期的(?)なビジョンがないからでしょうか。種をまき、水を遣るのが大変なのはわかりますが、もう枯れかかっていますよ。