大晦日

            「ふるさとの川(試作)」  水彩

いよいよ2025年最後の一日だ。ふと思いついて、今日一日にやるべきことを後回しにして描いてみた。完成形ではないが、叩き台として目に見える形になった。

2025年も戦争の年だった。どこかの誰かが「自分なら24時間で戦争を終わらせる」などと叫んでいたが、世間の誰もそんなことなど信じなかった。誰も信じないことがわかっているから、安心して大ぼらを吹いて見せたのだろう。おそらく、ただ目立ちたかっただけのことだ。
 戦争はくだらない。けれど、そのことに世界を揺るがすほどのエネルギーを費やす。それだけのお金と人間の命(!)をかけたら、どんな素晴らしいことができるかと誰もが思ってはみるが、その損得計算ができるのは子どもだけらしい。

大晦日、物流倉庫など次から次へと搬入車両が続いているかと思ったら、以外に静かで驚いた。今日はほとんどのところで仕事はしていないから、日曜日より静かな朝だった。それでも、昨日までに終われなかったのだろう、田んぼを耕していたトラクターの傍に鴉が一羽。
 大晦日鴉一羽の黒光り

子どものかお

「子どものかお」  フェルトペン

今までほとんど絵を描かずに過ごしてきた人たちが、生成AIを使って “オリジナル” の絵を描き、「作家、画家」としてどんどんデビューし始めているというニュースが、もうニュースではなくなってきた。

鉛筆などの筆記用具もクレヨンや水彩といった画材も使わない。広いアトリエも用意しなくていいし、画材の知識も必要ない。言葉だけで、3~4種類の絵が3分で完成する。それが売れる。

美大を受けるためにデッサンなど時間を体力とお金を使って勉強したり、画塾へ通って腕を磨き、公募展などで入選、受賞と努力を積み重ねていく。日々の修練を欠かさず、お金と時間を割いて取材に行く。そんなことは無意味なことなんだろうか、少なくともプロを目指す人にとっては。

絵が下手だ、と自分の絵に自信を持てなかった人、描くのは好きなのに身体的にできなくなった人、そうした人々にとって、可能性が膨らむのはいいことだ。小説を書くなど考えたこともなかった人も、いくつかのヒントをAIに与えるだけで、小説家になれるかもしれない。心身を削って、一語一語絞り出さなくてもよくなり、作家の健康にとってもいいことだ。病気になって身体を動かすのも大変なのに、長い待ち時間を強いられる病院など行かず、AIのお医者さんに尋ねれば済むことは、患者にとっても、医療費の増大に悩む自治体や国にとってもいいことだ。
 そのうちあらゆる発想もAIにお任せし、結果の判定もAIに任せれば、見解の相違などと対立することもなく平和になる。自分にとっての幸福とはなにか、もAIが考えて?くれるだろう。誰も悩みなど持たず、ましてや自殺など考えずに済むのはいいことだ。

数学

      「椿の実」  ペン

椿の実(と種)はいつ見ても宇宙を、というより「真理」というものが本当にあるかもしれない、とわたしを虚心にさせる。

椿の実をバラしてみたことがあるだろうか。庭に椿を植えている人でも、もしかしたらそういう経験がないかも知れない。知らぬ間に実が弾け、種が地面に落ちてしまっていることが普通だから。
 でも、たまたま弾ける前の実を採っていたら、それを見ることができる。(視覚的には)極めて単純なかたちの種がそこに在るのだが、それらがどう繋がっていたのか、くっつけてみようとするとかなり難易度の高いパズルになる。たったこれだけの個数なのに、どれも微妙な凸面凹面を持っていて、それが立体である分、パズル好きにも十分楽しめる。

椿は花ももちろん美しいが、弾けた実殻と種の不思議な魅力にもわたしは深く魅入られる。そして、そこに美しい「数学」を感じる。特にその種には、それらが互いに似かよっているくせに同じかたちは二つと無い、ということを強く意識させられる。それはたぶん、カボチャやリンゴの種のように1個1個が独立せず、種どうしがくっついていることに依るからだろうけれど、それにしても一個一個のどれもが、鋭く無駄のない曲線、曲面を持ち、「生物学的」というよりは「数学的」と呼びたい美しさだ。
 オウムガイの螺旋とフィボナッチ数列との一致がよく知られている。そんな “数学的論理性” が椿の種にもきっとあるはずだ、と夢想する。

「不思議」は「理解不能」とは違う。それは別次元のことだ。不思議さというのは、一見すぐに理解できそうでいて、「考えれば考えるほど、さらにその先に引かれていくような深さ」のこと(そして最後にはちゃんと理解できるはず、と信じられること)。椿の種には「不思議100%」が詰まっている。
 数学は苦手だったが、子どもの頃にこんな不思議さを教えてくれる先生がいたら、今の1000倍くらい数学が好きになっていただろう、と思う。