北風と太陽

        「乾いた花など」  ペン

「北風と太陽」というイソップの寓話のことは多くの人が知っている、と思う。どちらが強いかを互いに譲らない北風と太陽が、厚いコートを着て歩いている旅人を指し、「どちらが彼のコートを脱がすか競争しよう」という、あの話である。

国際社会を見ると、太陽はずっと遠くに行ったきり行方不明。北風だけがいくつも立ち上がり、お互いの強さだけを競い合っている。北風の吹きつける風の強さ、冷たさはイソップの時代よりはるかに進化し、AIを駆使して周到に仕組まれた作戦によって、一瞬にして旅人は凍ってしまう。

どちらが先にコートを脱がせるか、がルールだったはずだと弱い北風が言うと、「そんなルールなどオレには必要ない」と強い北風はその場でルールを勝手に変更してしまう。イソップの時代には普通だったそんな横暴を変えたいと、彼が作った寓話がむしろそれ以前の状態に戻ってしまったことに、彼はどんな言葉を発するだろうか。

今日は一日中強風が吹き荒れた。最近の日課になった自転車散歩も、出かけてはみたものの強い向かい風でさっさと退散してきた。けれどホトケノザは群がるように道の端を埋め、ところどころに水仙の花が揺れている。もう凍えることはなさそうだ。一昨日は「皆既月食」。すっかり忘れていたが、遠くにいったままだと思われていた太陽は、そんなところにひょっこり顔を出していた。

「手」の行きついたところ

     「手」   水彩

手は人間と動物を分ける一番の物理的な象徴かも知れません。「脳」という人もいそうですが、多くの哺乳類はもちろん、ムカデなどの節足動物などにもちゃんとした脳があります。軟体動物の、特にタコの知能の高さはよく知られています。クラゲやイソギンチャクでは、神経はありますが特定の脳という部位は無いようです。

普段は意識もせずに使っている「手」ですが、いったん指一本でも怪我などで使いにくくなると、途端に生活の質が落ちるのがわかります。逆に言えば、手を使いこなすことがどれだけ文明を発展させてきたか、に想像を広げることができます。

犬や猫の前足は「手」ではありません。「手」の定義ははっきりしていませんが、「ものをつかみ、道具などを操作できる機能を持つ身体の一部」というあたりが納得を得られるところでしょうか。犬や猫の前足は、あくまで前足の機能(引っかく、押さえつける)であって、道具などを操作することはできません。その意味で、類人猿や多くの猿の手は立派な「手」です。
 その手で、人類は多くの利便を得、文明を発展させ、それと同時並行的に多くの知識も獲得してきました。その「道具を操作できる機能」は、一方で常に人を殺す武器をも作り出し、その知識は多くの動植物を絶滅させてもきました。

そして、これからはAIが人類の「手と知識」を奪い取る時代です。もう、ヒトが自らの手と脳でモノを作り出す苦労も、新しい知識を吸収するための勉強も必要ないのです。あんなにも美しい「手」を、もう労働なんかで傷つけることもありません。本能的(動物的?)欲望のままに、ポンとボタンを押す以外に使う必要がなくなったのです。
 SFマンガの時代が本当に出現しました。少数の「統治者」がコンピューターにコンピューターを操らせ、機械が機械を作り出し、コンピューター同士が(まだるっこしい人間言語など使わずに)新しい知識を積み上げていくでしょう。
 コンピューターに飼われている人間は何をするんでしょうか?戦争ゲームまたはハンティングゲーム以外にもうやることはないでしょう。「自殺」さえできなくなりますけどね。

「フェルトペン」とはどんなペン?

1月24日(土)18;00に予約アップロードした動画を紹介するのをうっかりしていた。アップから既に2週間も経っている。ビジネスとしてYouTubeをやっている人からしたら考えられないこと。

YouTubeを始めた頃はフェルトペンを使ったスケッチをたくさん載せた。野外で、片手でスケッチをするには小さなスケッチブックが最適。旅先でのスケッチは(慣れれば)鉛筆よりペンの方が便利。ペンにも何種類かあり、一番ポピュラーなのがボールペン。ひと昔前のボールペンはインクだまりができたり、文字専用のようで傾きやスピード感に対応できず平板な描写しかできなかったが、ボールペンも相当進化している。

フェルトペンは、それに比べると使う人の数も数分の一以下だろう。一般の人はほぼ使わない。名前すら聞いたことがない人も多い。ペンと言えばインクが滴り落ちるタイプのペンを誰もが思い浮かべるが、フェルトペンは、布に染みこませたインクを擦りつけるタイプのペンで、イメージとしては “マジックインキ” や “マーカー” に近い。そのイメージじゃ絵とは結びつかないよね。

“インクがたっぷり” という「リッチ感」がまず無い。「たっぷり感」は絵を描く、描かないに限らず、多くの人が好む。フェルトペンのインクの出方はそれに比べると貧相に見える。人気がないのもある意味当然かもしれない。
 けれど、この「弱点」がそのままスケッチの際は「使いやすさ」に繋がっている。いきなり濃く、ドバっと出ないということは失敗が少ないということ。そして「貧相なインク」が遠近表現に向いているということ。たとえばボールペンのように、強く、安定した、単調な線では、線だけで遠近表現をするのは難しいが、フェルトペンならお手の物だ。フェルトペンの一番の長所かもしれない。ぜひ、使い慣れて、スケッチの仲間になってください。