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今日は山へ柴刈りに行ってきました。妻は川へ洗濯に。すると上流から大きな桃がどんぶらこ、と流れてきたんだそうです。帰宅したわたしが「今日は27℃もあったが、わりに空気が乾燥して、むちゃくちゃ汗をかかずに済んだわい」というと、「そうけえ。そりゃあ、えがったな。ところで、わしゃあ、こんなもん川から拾ってきたんだわ」と言いながら、座敷の脇の大きな篭を指さした。わが家では見たこともない、でっけえ篭だったんですが。

しかも、そんなかに、“なんじゃ、こりゃ!” と飛び上がるほど、大きな桃が鎮座しておったんですわ。よくまあ、こんなでっけえ桃もあるもんじゃが、それを運んだアンタもえれえこってしたな、とかなんとか地迷い方言を云うてる間に、その桃がな、「ズズン」と、ひと回り大きくなったように見えたんですよ。ホントにホント。

「へっへ、爺さん、ビックリしたじゃろ」「わたしもな、拾ってきたときはまあまあ抱えられるほどやったんじゃが、爺さんがけえってくるまでに、もう3倍くらいに大きくなったんじゃよ」。ほえ~!じゃあ、どこまで大きくなるか見てみようか、と音声言語にする前に、「この桃に、耳をくっつけてごらんな。なんだか話し声みてえに聞こえるじゃねえか」と、もう耳をつけていた。
 アメリカ軍がUFOの写真を公式に発表した。話の続きは、また宇宙年月の{1-tsuka}にね。

つまらなそうな絵

         「日なたの薔薇、日陰の薔薇」  水彩

こういう絵は、一般鑑賞者から見るとつまらないかもしれない。でも、描く側から見ると、明暗の入れ替わりとその効果が味わえて、意外に面白い。

どういうことかというと、まず、①日なたの薔薇(薔薇に見えない、という人にはゴメンねというしかないが)と日陰の薔薇が、色違いなのに同じものだと思わせること。そのためには、ここは日向だから白っぽくていい、これは陰だから暗く見えるのは当然、という「錯覚」を作り出すこと。心理ゲームなんですよね。 ②同じ葉っぱでも、それを置く場所の明度に合わせ、4つほどの明度を使い分けること。造形思考の確認ですね。それが一種のゲーム感覚を味わえて楽しいのである。

昔、これと同じことを授業でやったなあ、と懐かしい気もしたが、ゲーム的な面白さまでは伝えられなかった。それは残念。

背景の勝利

     「しじま」 水彩

「背景の勝利」と言っていいかもしれない。人物の習作だが、なぜかひどい出来で、他の紙にもやり直してみたが、気に入らなかった。しばらくして、ダメもとで画面を汚し、いつもの「困った時の背景」をやってみた。

好き嫌いは別として、背景のお陰で、絵に魂が入ったような気がする。「背景の勝利」は、そういう意味だ。気に入らなくても、どこかに何かが残っていれば、それを発火点に、ちょっと別のコースを歩むことができる例になった。