コセンダングサ(小栴檀草)の憂鬱

「小栴檀草(コセンダングサ)」
コセンダングサ。黄色の筒状花の縁に小さな白い舌状花がある

日本全国の今年の気温データをみると、2026年5月に入ってからすでに「真夏日」が何度も報告されています。それは、これまでの “異常気象” が “普通” に代わりつつあるということでしょうか。もしかしたら、日本人は主食のコメを、バナナに替える日が来るんでしょうか。

ほぼ日課になってきた自転車ウォーキング。その途中で気になった植物、動物を自転車から降りてカメラで撮ることが増えてきた。研究などするわけではないが、自然に触れることの少なくなった生活の中で、なんとか自分の身体感覚と季節感との接点を維持したいという思いがある。

先日、ジシバリ(地縛り)の写真を撮った先に、気になる植物が、舗装路の割れ目から20センチほど立ち上がっていた。「何だろ?」とグーグルレンズで検索すると「センダングサの可能性が高い」という。間違いでしょ?と思いつつ、あらためて写真を撮って帰宅したが、なぜかピンボケで判定できなかった。

気になったので、夕方あらためて確認しに行った(向かい風で大変だったんだよ)のに、それが見つからない!どうして?何度も何度も探しながら歩き直しているうちに、なんとか別の個体を見つけることができた(ちょうどその場所に軽トラが停まっていて、見られなかったのだった)。
 結果として、「コセンダングサ(別名:ひっつきむし)」という判定は正しかった。が、ウィキペディアで見ると、花期は8~9月。つまり、「秋の草」なんだ。そう、そこが気になってたんだよね。ちなみにコセンダングサは「ひっつきむし」。棒状の実に、かぎ爪状の棘がついていて、それでよく靴ヒモなどにひっついてくるアレです。
 ということは、植物側からみるとすでに「夏真っ盛り」どころか、「もう秋」ってことなんだろうね。なのに個体的成長がそこまで追いついていないってことは、植物側から見ても季節感の「想定外の早さ」に追いつけてないってことじゃないですか?今年の夏は、電機、電力業界が云うエアコンの「2027問題」より怖いよっていう、警告じゃないんでしょうか?

遊んじゃった♡

           「スーパーマーケットにて(習作)」 水彩

一昨日、「春のさんま」を掲載した(記事名は「グレーの使いかた」)。そこで、スーパーマーケットの一角をそのまま描いたら、それが現在進行形の「今」の表現になるだろう、と書いた。それはそうだが、シリーズ化して、スーパーマーケットを丸ごと一店舗描いて、やっと伝わるような構想だと思う。それは文字通り命がけの仕事になるが、今のところそれに命をかけるほどの想いはない。

まあ、そんな雲をつかむような話は措いとこう。この水彩スケッチは、その「さんま」の前に描いてみたもの。いきさつは一昨日の記事で触れたように、教室の方々の絵に触発されたから。

結果として、このスケッチは気に入らなかった。習作というものはもともとそういうものだから、べつにガッカリもしない。何が気に入らないのかを分析することが、結果より大事な作業になる。

スケッチとしての出来は気に入らなかったけれど、描いている間は楽しかった。はじめは億劫だったのに、無心に描いているうちに、だんだん乗ってきて、要するに遊びすぎちゃったんだな。それが良かった。

グレーの使いかた

「スーパーのさんまパック」 水彩

この絵、パッと見た時に「スーパーのパックなんか見せてどうすんの?」と思ってもらえたら嬉しい。スーパーで売っていた「春のさんま」(「秋刀魚」とは書いていなかった)。

教室で「こんなモチーフも面白いと思うんだけど」と、スーパーで撮った写真のコピー数枚を教室でビラビラ振ってみた。難しいモチーフだから、誰も持って行かないと思っていた。

ところが、ところが。課題でもないのに次の会にみんな描いてきたではないか!しかもそれが、みんな自分なりの個性的なポイントで捉えていて、とっても良かった!嬉しくなったどころか、逆に刺激も受けたんです。
 もしも公募展などにチャレンジするなら、ただ魚を上手に描いて見せるのではなく、たとえば「スーパーマーケットの店頭で」という現代(時代)性のほうをテーマにするという方向もあるよね、という程度の一例に過ぎなかったのに。

それで自分も描いてみたってこと。サンマそのものより、「パックに入って並んでいる」ことが狙いなので、冒頭のように見てもらえたら嬉しい、というわけです。現在、ホルムズ海峡封鎖などで、石油関連製品の品薄感が社会問題になってきているから、この場合も、「さんま」より「トレー」の方にピントを合わせる視点は、より意味があるだろうと思う。
 時間がかかるモチーフだというのは描く前から分かっていたが、やっぱり結構時間かかった。そして、これは「グレーの使いかた」のいい課題になるなあと、あらため考えた。