金メダル

ある日の下北半島‐CGスケッチ

オリンピック、試合後の選手インタビューを聞いていると、どんな選手でも絶対に金メダルが欲しいんだな、と感じさせられる。

(現在の)自分の限界を越えて何かに到達するには、誰しも強い動機を必要とする。必要度が強いほど努力もするし、そのための我慢もできる。その極限のかたちをぶつけ合う最高の場が、たぶんオリンピックなのだ。「他人に勝つ」という歓びは本能的なものだろうが、それを増幅し続ける人生とはどんなものなのか、わたしには想像が及ばない。銀でも銅でもすごいことだと思うけれど、彼らにとって、金メダルとはそれらを何十個足しても替わりにはならないものなのだな、ということだけは分かったような気がする。

金メダル=1位なら、1位の称号でも同じことかといえば、きっとそうではないだろう。明らかな「物的証拠」として「金メダル」が欲しいのだ。金メダルを齧るポーズがちょっといやらしいと思っていたが、もっとも敏感な口回りの神経で金メダルに触る、その物質感が(精神衛生上)必要なのだろうと思いなおした。

気楽に見たり聞いたりするだけのわたしにとっては、頑張って自分が何かを得ればそれで十分ではないか、自己新記録を出すだけでも立派だ、などと思う。それが間違っているとは思わないが、そんな風に考えている選手は(少なくともオリンピック選手には)一人もいないということが分かった。