ただのデザインじゃないか

初夏の Apple  (CG)

この絵を見たら「ただのデザインじゃないか」という声が聞こえてきそうだ。デザイナーからは「ただのデザインの『ただの』とは何だ」という声も同時に聞こえてきそうだ。

わたし自身も、これじゃ「デザイン以前」だと思う。たいていのデザインにははっきりした(社会的、商業的)な目的がある。一方、(現代の)絵画にはそういう意味での目的はないが、作者個人の生存意義を深め、「社会との違和感」を作り出すことによって(広い意味で)社会の変革を促す力になる。それが絵画だとするならば、ずいぶん薄っぺらく、とてもそんな力などどこにも入っていないように感じるだろう、ね。

そう、「薄っぺらい」よ。人々が「絵画(芸術)」に求めるものは「人生」とか「哲学」の深さ、重厚感だろうが、これはペラッペラに「薄っぺらい」。「これを『絵』だと言うこと自体、お前の薄っぺらさを示している」というお怒り。ごもっともでござんす。

反論などござんせん。でも、あなたの健康に悪いので、もうちょっと落ち着いて血圧を下げてもらって、いましばらく我慢しておくれやす(我慢のお駄賃はでまへんが)。

投稿者:

Takashi

Takashi の個人ブログ。絵のことだけでなく、日々思うこと、感じることを、思いつくままに書いています。このブログは3代目。はじめからだと20年を越えます。 2023年1月1日から、とりあえず奇数日に書くことだけ決めました。今後の方向性その他のことはぽつぽつ考えて行くつもりです。

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