さっぱりした空だ

「夕焼け・駅近く」  水彩・ペン (後日YouTubeにて制作過程を公開予定)

ここしばらく続けた「夕焼け」シリーズ?も、ここで一区切り。この絵の制作過程は後日YouTubeに載せるので、そちらもぜひご覧ください。絵の「出来具合」は、「頑張ってはみたよ」ってとこかな。でも、褒める(べき)ポイントをこっそり教えておくヨ。前回、同じテーマで描いた「試作」より、空がすっきりして、軽いでしょ?それが今回の(自分自身の)テーマだったから、それなりに工夫したんです。そこはまあまあかな。―覚えた?

話はガラッとかわるけど、いま世界史が面白いんです。ウクライナ戦争までをも面白いと言ってしまっては顰蹙を買いそうだけど、プーチンの言動を見れば、多少でも歴史を見なければ理解は始まらない、と誰しも思うよね。トランプの関税問題も、ガザに対するイスラエルの行動にしても、なぜエジプトやサウジなどのイスラム国家が(本当は受け入れたくても)パレスチナ難民を受けいれられないのか・・なんてところまで、一見別々のことのように見えて、実はみんな意外なところで繋がっているんだよね。人間のやることだから当然といえば当然ともいえるけれど。
 世界史なんて、コロンブスの「世界を見て歩きたい!」っていういま風の企画を、当時のスペイン女王イザベルが「素敵、素敵!やってやって‼ゼッタイ応援する!でも必ず何かお土産持ってきてね!」と言ったかどうかは知らないが、そんな身近なところから歴史が始まったような気さえしていたが、少なくとも人類が文字を発明した時には、もう「世界史」が始まってたんだよね。

二転三転。「美しい」とか「美学」というのは、動植物にもあるものだろうか?わたしは「ある」と思っている。「人間だけが美を感じることができる」などと思うのは、単なる傲慢に過ぎない、と感じてもいる。だって、虫を呼び集めるためだけなら、なんで花はあんなにきれいで、しかも超多様なの?その多様さそのものの意味を説明できないでしょう、たとえ植物学者でも。素敵な家族の窓辺に飾られるためなら、花だってお化粧くらいはお手の物。「自然」だって、ちゃんとアートしてるのさ。

鬼灯(ほおづき)

関東甲信地方は昨夜から今朝にかけて大雨警報など発令されたところもあって(当地ではさほどでもなかったが)、今朝はクーラーが要らないほど涼しい。おかげで少し寝過ごしたが、そのぶん足が軽くなった。ぐっすり眠れるのは、やはり薬以上の身体の回復効果ですね。

鬼灯(ほおづき)を描いてみます。鬼灯といえば赤い提灯のようなイメージがあり、それがお盆のタイミングに合い、盆棚飾りとしてよく使われているのはご承知の通り。わたしも鬼灯といえば「赤」のイメージしか持っていなかったが、よく見ると(当然ながら)その前は緑色をしているのだった。

今回は、ゆっくり、この緑色の鬼灯を描いてみることにする。その前に生態など少しは調べ、観察することが最低限必要、というわけで上のスケッチです。

「潮だまり」の習作

「潮だまりー習作」 水彩

「潮だまり」の習作。すでに同名のvideoをYouTubeで公開してあるが、これら習作の結果としての作品を、後日あらためて制作したい。習作を作ることはやはり意味があることと、あらためて感じている。

いま、気になっているのは「夕焼け」。ここ数回連続して習作などを取り上げているが、こちらもできるだけ、作品にしてみたい。本当は一枚、大きめの絵を描いてみたいのだが、なかなか気持ちがいま一歩だった。「つべこべ言わず描けばいいじゃないか」と、毎日自分に言い聞かせているのだけれど。