アップロードしました

先日公開した「夕焼け・駅近く」の制作動画をアップしました。前回のアップロードから17日目、やっぱり3週間かかってしまいました。この超スローなペースには、仕事が遅いとか忙しいとかでなく、自分の性格が一番多く関わっているようです。

毎回のことですが、今回もたくさんの失敗をしました(いいところもあった)が、やるたびに「これはどういう意味?」という、編集の用語や操作が増えてきます。YouTubeの設定などが、頻繁に更新、新機能の追加等で、変化し続けているのに、わたし自身のアップデートが全然追いつかない、つまりどんどん遅れてしまい、そのぶんアップロード間隔も空いてしまうということ。パソコンは自動的にアップデートしているので対応はできることになっているのに、頭がねえ・・。と言っても始まらない。マラソン式に「着順に関わらず、とりあえず自分のゴールまで」精神だが、この時代、そういう精神自体がアップデートされなければいけないのかも、です。

強風のあと

たくさんの実が落ちている。これはクサギかな?
タイサンボクの実を拾ってきた
カワトンボは大好き。なかなか写真に収まってくれない
コブシ(モクレン科)の実。花は知っていても、なかなか実までは見ていないものです

数日強い風が続いた。ウォーキングも億劫になり、数日ぶりに行ってみたら、あちこちに木の実が吹き溜まりになっていた。植物はもうすっかり秋の準備完了だ。植物は「時節先取り」、まことに手際が良い。わたしのような、計画性のない人間には、まことに敬服すべき存在である。

夏が来れば思い出す

「鬼灯(ほおずき)」  ペン、水彩+CG

夏が来れば思い出す、さまざまなこと。数十年前の子どもの頃のことを突然思い出し、ああ、あれはこういうことだったのか、と(記憶が創作されているのかも知れないが)初めて理解できたような気がすることがある。

当時の自分を客観視できるようになったということかどうか、にわかには言えないが、子どもには見えない「感情」や「関係性」といったようなものが、年を経て、理解できるようになったこともあるだろう。その一方で、子どもでしか感じられなかったことも、たくさん抜け落ちてしまっているに違いない。それが年月というものか。
 見えるはずもない当時の自分自身を、一枚の写真のように鮮明に見ることができるのも、長い絵画の訓練のたまもの。これもまた年月か。

あとひと月もしないうちにお盆が来る。特別な思い出というものはないが、「お盆用の棚を作れ」と両親に言われ、弟と二人で、隣のお墓に作られた盆棚を真似て、それぞれに込められた意味も解らないままに作っていたことを思い出す。弟は毎年、今でもそうやって同じように作っている。
 飾り用の鬼灯は、ちょっとだけ贅沢品でもあり、ハマナスの赤く熟した実を、鬼灯の代わりに紐で吊り下げたりした。他愛のないことを思いだすものだ。