おにぎりは誰が作る

陽が奥まで入ってくる

コンビニのおにぎりを何気なく買う。とても日本的な食べ物(食べ方?)だから、つい日本人が作っているような気がしてしまうが、実は多くは外国人労働者、それもいま問題になっている「外国人技能実習生」たちが作っているのだという。

朝早くから、おにぎりは店頭に並ぶ。しかも賞味時間が細かく、時刻を過ぎれば厳しく廃棄される。ということは、真夜中にも作っているし、一日中ひっきりなしに作っているということでもある。コンビニは街の小さな個人のお弁当屋さんとは規模が違うのに、「おにぎり」「きんぴらごぼう」という庶民的な名称につられて、つい「近所のおばさん」たちが作っているように錯覚してしまう。

常に新しいおにぎりが店頭に並ぶということは、誰かが常にそれを作っているということなのに、そこになかなか考えが到達しない。便利さの中で私たちの想像力が縮み、自分の目先しか見えなくなっているのだ。

人手不足だから「技能実習生」枠を名前を変えて拡大しようという議論が今日から国会で始まった。34万人まで拡大するというが、既に国内の技能実習生は27万人に達しているという。そのかなりの部分が「外国人熟練労働者」にスライドすると考えられている。それに留学生のアルバイトも加えれば、既に枠は満杯に近い。労働者数を増やすというより、人権問題の目先を逸らすのが議論の目的ではないかと、疑うのが当たり前だと思うのだが。

発表するということ 2

まもなく展覧会終了(風土に生きる・展  銀座)

作品を発表することには、出品者それぞれにそれぞれの意味がある。それも、年齢などの身体状況など様々の個人事情、生活や周辺の人間的な環境などによっても、その意味はさらに変化する。

このグループ展も5回目の区切りを終わった。今後のことは話し合うが、いずれにせよ現在のまま続くことはない。けれど、このグループ展での発表を止めても、絵を描くことを止める人は誰もいない。

発表の場と、その人の発表する意味とは次元の違う問題だ。団体展と違い、話し合いでも、飲み会でも、そのことに触れる人はいない。皆一線を引いている。それがお互いを尊重するということ。5年間暗黙にそれができていた。よいグループ展だったと思う理由である。

くだらないが貴重な一日

制作中

数年に一度くらい、やや大きな風邪を引く。どうやらそれが今回。それほど悪くならないうちに、別の薬を貰いに行くついでに、かかりつけのクリニックに行った。

火曜日午前9時、「最低2時間は待ちます」で、すぐ帰宅。少し雑用をして戻ったが、それからさらに1時間。薬局で薬を頂いて帰る頃には病状は悪化し始めていた。元気な人しか病院には行けないという、ブラック・ジョークそのまま。そのあと一直線に悪化。既に薬を貰ってきていたのが不幸中の幸い。そうそう、その夜通夜があり、坊さんの長く、くだらなく、下手くそな話を聞かされたのも良くなかった。そのせいで数珠も無くしてしまった。百円ショップで買ったにしては結構良く見えたのに。葬儀に数珠など持っていくものじゃないと反省。

とにかくその夜から、どこか切れているのではと、思うほどの喉の痛みと咳、鼻水。熱は平熱+1.5°。やっと今朝(木曜)普通に目が覚めたが、起きてからも何となくボンヤリ。それも普通といえば普通なのかも知れないが。用事はこんもりと山になっている。出かける用事もあるが、全て後回しに。こんな日もあるなーと考えれば、これも貴重な一日。