曼珠沙華

先日お見せ出来なかった、埼玉県営幸手権現堂公園の曼珠沙華です(やっと別の転送方法にたどり着きました)。たぶん近年では一番立派に咲いています。今年は暑い日が続き、旱(ひでり)気味だったのが、花にはよかったのでしょう。

10日から2週間ほど満開の時期が遅れているとかで、人の込み具合もこの程度なら周りを気にせず、ゆっくり観られそうですね。夕方になると、インスタグラムにアップするために、メイク・コスチューム・小道具にいろいろ趣向を凝らした人たちが来て写真を撮っています。それを横目に見るのも一興です。土手の上は秋らしい爽やかな風が吹いています。

信なくば立たず

        「栗」   水彩・色鉛筆

石破茂氏が自民党の新総裁になった。衆議院では自民党が単独過半数を占めているから、新内閣総理大臣ということになる(今日の臨時国会で正式に選出される予定)。地方の多くの自民党員だけでなく一般の国民も、これまでの彼の言動から、「自民党はちょっとは変わるかも」と一瞬思ったに違いない。

けれど、文字通り「一瞬」に過ぎなかった。まったくすごいことに、新総裁に当選するやその言動を180度掌を返して見せたのには、驚きを越して呆れる以外にない。就任前日での衆議院解散、総選挙の宣言である。さすがは「自民党のための自民党議員による」自民党の総裁だ、と感嘆すべきなんだろうか。

国民も、当の自民党議員でさえ少なからぬ人数が「まさか」らしい。つい二、三日前まで「新政権即解散」は「無い」、「選挙の前には国民の前に、しっかりと判断材料を提供しなければならない。たとえば予算委員会」と具体的に論戦の場まで主張して総裁選を戦っていたのに、当選した途端に「異例ではあるが、おかしくはない」ときた。
 同じく総裁選を戦っていた小泉進次郎氏が衆議院解散に触れた時、わざわざ「総理にもなっていないものが解散に触れるべきではない」と釘を刺したその当人が、「就任前に」突然解散日程を発表したのだから、皆のけぞってしまったのだった。

個人的には、自民党の中ではまともな方だと思っていたが、完全に信用を失った。彼の常套句「信なくば立たず」の、「信」とは何だったのだろう。総裁選でのにわか助っ人議員たちだけに対する「信」だった、ということがこれで明らかになってしまった。野党の協力体制が整わないうちの選挙は、たぶん優位に進むだろう(いや、それも判らなくなった)。早晩「信がないのだから立てない」という持論を逆説的に立証することになるに違いない。

時間を所有する

     「棚の静物」 水彩

世界は目まぐるしく動いている。あるものは更に進歩し、けれど、あるものは退化もしくは逆行する。世界はそうやっていろんな方向へ動いている。だから、同じところにとどまっているつもりでも、相対的にその動きの中にいることになる。

でも、それは現在の地球での話。時間も空間も、ある意味では人類の発明品だ。この地球もやがて物理的に崩壊して宇宙の塵となり、どこかに新しい生命が生まれれば、そこからまた「新しい」時間と空間が生まれる「可能性」がある。天文学者によれば、現在の人類と同じような進化を遂げる確率は、ほぼゼロに近いらしいけれど。

つまり、わたしたち、いや、いま地球上にあるすべての生命が「奇跡」の中に在ると言っても過言ではない。けれど、その奇跡の中を見ると、矛盾だらけ。完ぺきなものなど何一つないことは顕かだ。それなのに、さらにその一部に過ぎない「人類」だけが、ひとつの正解を巡って、自らの正当性性を主張して殺し合っている。それ自体が矛盾であることに気づこうとしない。

人類だけが時間を「所有」できる。「わたしの時間」。それがいかなる奇跡であるか、死ぬ前にもういちど考えてみるのは悪いことではない、と思う。たとえそれがちょっと辛くても。「棚の静物」。何も描いてはいないが、そこにわたしの時間が残っている。