母の死

母が亡くなった。5月30日23:57分、ほぼ真夜中だ。私一人が病院に泊まり込み、ぜいぜいと激し息遣いの母に付き添っていた(はずだった)。

けれど、私はただ木偶の坊のように、傍らに居たというだけで、付添いの役目を果たせていなかった。ナースセンターでモニタリングしているという思い込みで、目の前にあるモニターのボタンを押して確認しようという考えがなぜか浮かばなかった。苦しそうだからと、看護士さんと頭や首の位置を変えたりしても、モニターを自分で見るという考えが浮かばなかった。やり方を知らなかったわけではない。ただボタンを押せばいい。現に心停止、呼吸停止になったと言われて、初めてそれを思い出しボタンを押し、「判定不能」の文字を見たのだった。

結局、最後が近くなってきたら弟と妹を呼び、死に目に合わせるという役目を果たせなかった。細かく看護士さんに処置をしてもらい、彼らがくる朝まで無事で居させる、という役目を果たせなかった。何のために病院に泊まり込んでいるのか、という自覚が足りない、一言で言えば馬鹿だとしか言いようがない。

栃ノ心

どうでもいいが、大相撲。関脇「栃ノ心」が今日(5/25)、横綱鶴竜に勝って10勝目、大関にカムバックできた。栃ノ心は私の好きな力士だが全然嬉しくない。立ち合い、変化しての「はたき込み」じゃ、彼だけではなく、ファンのプライドが泣く。栃ノ心「勝ててよかった」。そうなのか、明日からはもう栃ノ心を応援しない。

明日は来ない

「かもめ」(エスキース)

 先月末、3ヶ月ごとの腰の定期受診をした。痛みもなく、かなり順調に来ていた腰の調子がだんだん下降気味になって来ていたので、そのことを医師に告げると、「筋トレの質を上げる」よう指示された。確かにちょっとサボり気味だった。その日から「質」を意識しつつ、回数も増やすことにした。

 具体的には、一回ごとに筋肉に手を当て、ちゃんと力が入っているかを確認、持続時間もきちんとカウントする、程度のことだが時間は倍以上かかることになった。忙しいふりをして適当にごまかしていたところをキチンとする、それを(今までより)心がけた。今夜、たまたまラジオで近畿大学准教授・谷本道哉氏の「筋肉は裏切らない」を聞いた。「そうなんだー」。

 明日から自分も筋肉体操やろう。「そう思った人に明日は来ません」と彼は番組の最後に言った。–そうなんだ。すぐやるか、明日やるかが「心の老化の差」と直感した。子どもの頃、思いついたこと、やりたいことを明日まで待てなかったではないか。いつの間にか「無理しない」つもりが体だけでなく「心」まで怠けさせてしまっている。動物や植物など自然の生き物ががなぜ私を惹きつけるのか、その理由にも思い至った。