YouTuber に?

描き方を少し変えてみた

YouTube「青いカモメの絵画教室」(YouTube.com@aoikamome)のチャンネル開設以来の総視聴数が2.1万回を越えた。100%皆さんの力です。ありがとうございます。

1万回目が昨年の12月13日(1千回~1万回まで約6ヶ月)。2万回目がつい先日の1月20日(1万回~2万回まで5週間)。どんどんペースが早くなってくるのに、実際自分でも驚く。いわゆるYouTuber になるには視聴回数そのものは直接関係ないらしいが、数字で表れるので、それを目指す人には最もわかりやすい指標になる。わたしの場合をそれにあてはめて、いろいろ概算してみると、今後一年間に最低6万回の視聴数が必要ということになるようだ。なに?今のペースなら30週、ことしの8月頃にはYouTuber になる?

どっこい、そう簡単にはいきません。YouTuber はおそらく誰もが相当な労苦をつぎ込んでいる。カメラの前では笑っていても、カメラの後ろでは大きな負担を背負い込んでいるはずだ。実際にやってみて、その大変さが少しは解るようになってきた(気がする)。「YouTubeを始めても、ほとんどはすぐやめます」とあるYouTuber が言っていたが、たぶんそうだろう。好きだからというだけでは続かない。一本ごとに少しずつレベルを上げながら、ちょっとずつ自分の世界を広げていける人、それを楽しむポリシーを持つ人だけが結局は残るのだろう。どんな世界もそこは共通なのかもしれない。

YouTubeは長丁場だと言われている。飽きずに続けるのだけは、わたしの性に合っているらしい。自分が飽きなくても視聴者に飽きられればそれでおしまいだが、飽きられない工夫を考えるのも今のところ、まあまあ楽しい。とりあえず、あと1年続けるのが、目標といえば目標かな。

サボれない―フリーランス

野生動物にとってサボるということは、たぶんぐっと死に近づくことなのに違いない。警戒をサボる、エサ探しをサボる、身体のケアをサボる。どれも死に直結する。サボらなくても捕食者は向こうからやってくる。息を抜く暇がない。

人間は適当にサボることができる(良かった~人間で ^_^)。人間は文明によって、多少はサボっても死なずに済む社会を創ってきた。

「フリーランス」という生き方は、そうした人間社会のなかでは野生的な生き方ということになるだろう。社会という仕組のなかではあるが、多少とも人に頼らない(頼れない)領域を持つ、そんな空間に生きるということ。だからサボれない。「自分だけの自由な時空感」などの”綺麗な表現”につられそうになるが、実は“息を抜く暇のない″、野生動物のような緊張感を常に強いられるという現実を見落としてはならない。

フリーランスになることは確かに一つの選択だが、多くの場合、「そうせざるを得ない」人々だとわたしは強く感じる。ちょっと前の日本では“落伍者”“はみ出し者”あるいは“反抗者”として、時には“排除”の対象者にされかねなかった人々。いまフリーランスが一種カッコ良さげに見えているらしいのは「文化」の力である。はみ出し者も一緒に生きていける時代がずっと続いて欲しい、それを持続する力が欲しい。一方で寛容性のない社会も身近に広がり、それに気づかない人も増えていそうなのが不気味である。

コスパ(コストパフォーマンス)

YouTube「青いカモメの絵画教室」ビデオ‐「フェルトペンの使い方」から

「コスパ」はもうすっかり「日本語」だ。日本以外ではどこにも通用せず、かつマスコミでもごく普通に使われているのだから、すでに「純粋な」日本語というしかないだろう。まあ、そんなことはどうでもいいが、要するに「効率重視」のこと。

最近YouTubeも“倍速”で見る人が急速に増えているのだそうだ。ユーチューブだけでなく、ニュースも、なんと勉強、教養まで。確かにニュースなどは時間当たりの価値が低く、倍速どころか4倍速でもいいと思うことさえある。勉強も教養も知識を得るという点では、倍速で出来るなら、それに越したことはないのかもしれない。

ただ、知っていることとそれを味わうことができるということとは全然別のことだ。お茶でもお酒でも、銘柄やなにかをやたら詳しく解説したりすることは、時に味わいの妨げになることもある。一つの銘柄のコーヒーだけを愛し、その時間をじっくり楽しむ人にとって、他の銘柄の産地だの、トレンドだのはどうでもいいことだし、コーヒーに関する知識がある方がより深く味わえるのかどうかは分からない。勉強や教養などはもともと自分自身が世界観を広げ、深めるためのもので、それで賞賛を得たりするのはまた別のことのはず(だった)。しかし、味わいが解るようになるまでには、なんと言っても時間と(たとえ大金でなくても)お金がかかる。
 でも、どうやら教養と知識が混同され、教養ある人=博識=知識人=いいね!の数(!)になりつつあるらしい。そういう意味なら、教養を「倍速で身につける」ことの大事さも理解できそうだ。もっとも、教養ある人は多くの場合博識でもあるから、一概に「混同」とも言い切れないが。

「15分で芸術のすべてが解る」といっても誰も信じまいが、もう少しすぼめて「15分でジャズのすべてが解る」と言えば、(ジャズの教養ある人にとっては“フン”と鼻もひっかけないだろうが)わたしのような音楽の素養のない人にとっては「見てみようか」という気にならないとも限らない。時間とお金の“コスパ”が、場合によっては数百、数千分の一で済みそうな気がするからである。
 YouTubeでのわたしのビデオ「フェルトペンの使い方」。「8分17秒」で、「フェルトペンで何でも描ける」ならコスパ最高!だが、それで描けるようならすべての画家はとっくに廃業しているはずなんだ。ちなみに、ビデオでは「(わたしの)使い方」については解説していますが、それを見ただけで誰でも同じように描けるとは言っておりません。