心電図モニター

心電図モニター 脈拍70
心電図モニター        脈拍70

変な話だが、心電図を見るのは案外楽しい。単純な繰り返しだけのようだが、何故か飽きない。しかも自分のだから、尚更親近感が湧くのも当然だ。そのうえ、この番号。これはある組織での私の会員番号ととても近い。同級生のような近さだ。

この6日間、私から一度も離れることなく、心臓のデータを見せてくれている。顔立ちもスタイルも、どちらかといえば不細工だが、機器から出る熱も私の身体に伝わり、何だか生き物をずっと抱いているような、お気に入りのおもちゃのような感じがして、可愛い。貰って帰りたいが、そうもいかない。家に帰ればいずれ放ったらかしにするに決まっている。可愛い子はここに残すのが良い。2016/11/28

 

ナース・コール

ナースコール
ナースコール

昼間はあまり気づかないが、夜になるとナースコールがよく聞こえてくる。私も必要に迫られ、何度かコールした。夜は看護師の人数も少ないので対応にも時間がかかり、それだけコール音が長引くせいでもあるだろう。

処置をしながら「ナースコールが凄い!」と思わず呟く看護師さん。敏感になっているから、処置に時間がかかる時など、時には針のむしろに座らされている気分になることもあると想像する。

夜勤だから当然徹夜だ(ろう)。自分の仕事や趣味に熱中しての徹夜と違い、いつ、どんな状況になるか分からない緊張感を持続するのは大変だと思うが、翌朝もケラケラ笑っていたりする。私などにはとても無理だが、仲間がいるから頑張れるという側面もあるに違いない。一人での夜勤ならきっとノイローゼになる。

画家や小説家にもそれぞれ仲間はいるが、同時に同じ場所で仕事をするという意味での仲間はいない。常に一人。もしナースコールしたくなっても、担当はいつも自分自身しかいない毎日。

ナースコールが、当日のチームに緊張を強いる反面、全員が分担し合っているという意識を高める、連帯コールでもあるように思う。

 

医療者目線

傷の様子 (手前はモニター)
傷の様子 (手前はモニター)

点滴がうまく入らない。これまでは太い針でもちゃんと出来ていたのに、細い採血針にしたら(容易になった筈なのに)出来ないという。

2人が2回ずつ失敗し、3人目のベテランが2度目で入れた。先の2人は単純な技術不足。ベテランは一発で痛みもなく入れた。そこまでは良かった。安心して休もうと毛布かけなど動いたので針がズレ、皮下注射になってしまった。次第に痛みが出、皮膚も膨れてくる。

戻ってきたベテランは、動いたアンタが悪いと言わんばかりの不服顔。こちらも何度やり直せば済むのか、という気分。今度は右腕にやると言う。手術後で、左腕はあまり動かすなという指示なのに、右腕では何かあっても困るといったら、左腕にはもう刺すところがないという。「たった30分、我慢出来ないの?」その言い方が医療者目線そのものだと思う。

1回目うまくいった時、「30分動かさないで下さい」と言えば、それでうまくいった筈。医療者なら動かさないのが常識でも、患者にはそうとは限らない。まして、直前までの点滴では、手を動かすのは自由だった。点滴の仕方が変わりますと事前に聞いていたから、そこまでは共有されていた筈だ。

患者目線に立てば「(これまでのと違って)30分ほど動かさないで下さい」の一言が重要だ。「患者目線」「消費者目線」と簡単に言うが、意識を変えるのは容易ではない。このあと、点滴液が無くなり(普通は点滴液が無くなる前に来る)、ナースコールをしても暫く誰も来なかった。もしふてくされたのだとすれば、もう医療以前の精神レベルだという他はない。