都民ファーストが変だぞ!

 

よく見よう。美味しそうな顔をして、中身は腐っていた

都民ファーストがなんか変だ。「小池のなかの葛藤」7/5 で小池さんの突然の代表辞任に?を感じると書いた。それでもまだ、奢れる自民に対する批判勢力として自立し、提案側であると知事との間の馴れ合いを排して、きっちり意見をぶつけ合える議会にするための小池流の手法なのだろうと、五十歩譲って考えていた。

ところがどっこい。まさかのまさかだ。ファーストの代表になる野田数という人は自民党以上の復古主義者、なんと明治時代の「大日本帝国憲法復活」を叫ぶ輩だというから、思わず耳を疑った。自民党とケンカになりながらも小池を応援した、盟友中の盟友、若狭勝衆議院議員も「都民ファーストを国政の受け皿にし、改憲については阿部総理に協力していく」とテレビでも言い始めたようだ。

そんなこと都民が望んでいたか?都民はそれを知っていて投票したのか?報道が事実だとすれば(たぶん事実)、これは完全な裏切りではないか。自民党の嘘よりもっと汚いウソだ。しかもきっと最初から仕組んでいたに違いない。しかし、これに憤ってデモでもしようものなら、成立したばかりの共謀罪適用第一号もあり得る。選挙に大勝利して1週間、早くも自ら化けの皮を剥ぎ取ったようだ。背後に何かが繋がっている。

災害のたびに思想を深める

今日も熊谷あたりでは気温が36度とか。九州でとりあえず雨が上がったのはいいが、災害に遭った人はもちろん、自衛隊、県市町の職員、ボランティアの人たちも目の前の片付けだけでも膨大な作業量だと思う。災害は一時のことだけでなく、そのあとの精神的な負担、子どもの教育まで含んで、ずっと長く尾を引く。

防災対策、法律を含めた復興支援、教育・研究とハード・ソフト両面の息の長い取り組みが必要だ。そして、そこには「人は物ではない」という無言の大前提が不可欠だ。「命を救う」という一語にも、「死ななければよい」から「人(間)とは何か」まで、二段構え、三段構えの深い思想構造が積み重ねられていく必要がある。

 

九州北部の災害に思う

九州北部の大雨被害が凄まじい。「線状降水帯」という耳慣れない語もすっかり定着してしまった。何人も亡くなっているのは気の毒だが、それでもこの特異な気象状況にしては人的な被害が最小限で済んでいるのではないか。防災意識の浸透の成果だと思う。

けれど一方で高齢化が進み、高齢者ほど生活からも情報からも取り残され始めている現実が報告されている。また今回の特殊な気象現象も、温暖化など人類自らの行為の影響がないとは言いきれない。となると、自然災害のように見えながら、或いは人災の犠牲という側面もあるかも知れない。

開発と災害は欲望と知恵の果てしない闘いだとも言える。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があるが、三人どころか70億を越えた人類から知恵が出ないということはあるまい。