人の夢を盗み見る /

のんきな日々もいつまで

ART(国際電気通信基礎技術研究所)と京都大学の研究者が、人が見ている脳内の画像を視覚化することにほぼ成功したと、ツイッター上で見た(論文の一部も)。

少し詳しい説明をすると、画像を見る人の脳をfMRIで測定したデータだけから、画像の視覚特徴パターンを予測するよう機械学習したデコーダーを通して画像化することができた、ということらしい。

ついに他人に夢を覗かれる時代が来た。逆にいえば、人に特定の夢を見させることも可能な技術の幕開きであり、怖い技術だと直感した。

こういう技術は、身体的なハンディのある人が、イメージするだけでアームを動かせるとか、自動車の自動運転などにいずれ使える有意義なものだ。けれど一方で、独裁者やその類の思想下にある人々とっても、最も欲しい技術に違いない。クーデターの夢を見ている人は、翌日の朝を迎えることができなくなり、そうでない人も一定の夢を強制され得る。抹殺と洗脳という、マイナス方向への計り知れない影響を考えずにはいられない。

暇で頭がボケそう

今朝もよく晴れ、しかもほぼ無風。気温は3〜4°くらいまで上がりそう。歩くと汗をかいてしまう。

病院にいると本当に暇だ。都会ならあちこちと用事を済ましながらの見舞いも可能だが、雑木林の中にポツンと離れ、ぐるりと見渡しても商店の一軒もないようなところでは、用事などしようもない。病院から少し離れたT字路まで雪道を散歩。往復3km。他にやることがない。

絵でも描きたいところだが、さすがに病室ではそれは無理。せいぜいパソコンを使って暇つぶし作業をするだけ。パソコンで仕事できる人が羨ましい。こんな日々を今回は15日間過ごす。毎日、介護に費やされるこの労力と時間を考えると、姥捨山政策を進めようとする勢力が、増えることはあっても減ることはないだろうな、と思う。

病院は人間の学校 / Human school

新雪が少し降ったらしい

今日も病院へ。今朝方の新雪で、風景がまた化粧し直した。車の人は顔をしかめるだろうが、ただ見るだけの私には大きなプレゼントだ。雪が降るたびにそれを貰える、有難い暇人だ。

病院に来ると、ふだん意識しない呼吸や、食物を口に入れる、噛む、飲み込む、消化、吸収、排泄という毎日誰もがしていることの有難さを再認識させられる。そして死も。病院は「人間の学校」でもある。

「有難い」ということは、感謝すべきだという意味ではない。文字通り、「有る」ことが難しい(難い)という意味だ。私たちはつい医学の進歩とか社会制度とかを過信しがちで、死についてもそのぶん何となく余裕ができたような気持ちになりやすい。

その過信を、病院は時には一層過信させ、時には簡単に打ち砕く。人間が生き物であり、動物であり、微妙なバランスを取りながらロープの上を滑る、やじろべえであることを病院は教えてくれる。