青柿のスケッチ

     「青柿」  水彩

今日はぐずつき気味の天気だったが、涼しいのは良かった(人によってはかなり冬支度に近い人も診かけた)。青柿が、赤い柿より絵になりやすいことは先日書いてしまったので、今日はそれについては書くことがない。とりあえずスケッチを載せる。青柿だから、柔らかくなりすぎるとか、食べるための心配は無用だから集中できる。

たったこれだけのスケッチでも、意外に時間がかかる。そして面白味がない。だからスケッチなどしない、と言う若い画家たちの話もすでに書いたことがある。それも然り。とくにわたしなどは、発表する作品はもっとずっと単純なかたちで、誰にでも描けそうなものを目指しているから、スケッチとのギャップはなおのこと大きい。

けれど、それを無駄だと思ったことはない。むしろ、年に数回の発表より、そういう普段のことの方が大事だと考えているから、たぶんこういうふうに正面から見えるように描いてみることが、自分にとって本質的なことなのだろうという気がする。

一生に一度も個展を開かず、一枚も絵を売らない画家もいる。だからといって、その画家を「単なるアマチュア」と言っていいかどうか。その画家が亡くなった時、多くの(それなりに知れた)画家たちが、作品を貰いに来たそうだ。

「鬼灯(ほおづき)」でアップデート

          「鬼灯」  CGエスキース

なんとしても鬼灯(ほおづき)を一枚絵にしたいと、夏の間ずっと考えていた。鬼灯に特別な思い入れがあるわけでもないけれど、なんとしても乗り越えたい手ごわい相手。これまで何度も挑戦したが、すべて「返り討ち」されてきた。

「バカにしないでよ、そっちのせいよ」というのは山口百恵(って誰?って言われちゃうんだよねー。世代の違いが愕然・・・)の「プレイバック」の歌詞だったか?この場合、そっちのせいより、こっちのせいなのだが、いずれにせよ「バカにしないでよ」だ。

手もとにiPad があっても、しばらくドローイングには使っていなかった。今日もスケッチブックとフェルトペンをを出してエスキースを作ろうとしたが、「待てよ。たまには iPad 使わなくちゃ忘れちまう」というわけでの、無理やり脳リハビリCGエスキース。情けねえね。

忘れていたところも多かったけど、やっているうちに少しずつ思い出す。使わないうちにアプリがアップグレードされていたりして、それなりに新鮮。エスキースの内容云々より頭のリハビリだと考えていたら、左手の動きが微妙にアマイ。ほんの少しの差だけれど、数か月前から、左脚がなんだか頼りない感じがしていたことと合わせて考えると、自分でも気づかないほどの軽い脳梗塞が左半側に出ているのかも・・、なんて怖いこと考えちゃったゼ。数センチ、ヤバいけどどうするかね?
 身体の左側だけ汗をかくのも、最近になって気がついた。そんなことあると想像もしていなかった。上がる気がなくても、身体は一歩ずつ勝手に天国への階段上っていくね―。

熱すぎる「柿」

「柿の習作」  水彩

そろそろ秋めいて(欲しい)。そんな願いをお天道様はちっとも聞いてくれない、なんてグチを言っている間に、ちゃんと秋は忍び寄ってきて、自然はすでにその先の冬にもちゃんと備えている。出来てないのは「お天道様はちっとも・・」なんて、まるで昭和の時代劇映画の、娘っこのセリフまがいの、オラたちくれえのもんだっちゃ。

スーパーの店頭にはまだだろうと思っていたら、もう数日前に見た、という声があった。まあ、9月も半ばを過ぎたんだから、出てても不思議はないんだが。

というわけで、柿を描いてみた。ということは「写真から」のスケッチだってことになる。写真では4個の柿が、それなりの大皿に乗っている。その皿もれっきとした作家のものだから描く価値もあるのだが、ここではあえて省かせてもらった。こういうシチュエーションなら、昔風の「土筆(筆)柿」の方が似合いそうだが、残念ながら手もとにない。ときおり通りすがりの庭にその柿が生っているのを見ると、欲しいなあ、描きたいなあ、と思う。我が家の庭にも柿の木があったが、虫の害が酷く、駆除をしているうちに本来守るべき柿の木の方を傷め、枯らしてしまった。虫の駆除は素人にはかなり難しいんですね。

絵としては、もっと秋が進んで、日差しの熱も枯れてきた頃、秋の長くなった影を引きずった柿が,、消えかかる夏の炎を抱くように地面ちかくに佇む、そんな風情を狙ったのだが、現実世界はまだまだ35℃の猛暑日。とても「枯れた熱」どころか「真っ盛りの熱」だという「惨敗」感が露わ。この絵から、そういう「悔しさ」をゲットしてくれたら感激だ。