靴底のヒ・ミ・ツ / Secret

ボンドでくっつけてみた

靴底のゴムが剥がれた!何かが靴にくっついている。はたき落とそうとしても落ちないので、仕方なくしゃがんで見ると、靴底がダラリと。

実は二度目だ。一度目はもう10年も前。東京での忘年会へ。歩いていたら、突然どこか段差のあるところを踏んだ。と思った次の瞬間、左足のかかとが浮いているのを自覚した。振り向くと一歩後ろに砕けかけたカカトが…。さらに周りもボロボロになりかけていたので、急用ができたとウソの電話をして(踵・きびすを返して)帰宅したのだった。あの時は夜で良かったなー。

それから何度か、砕けたカカトや足裏を見かけた。ご同類もいらっしゃるらしい。皆さま、しばらく履かずにいた靴を久しぶりに履くときは、十分にご注意下さいませ。

暇で頭がボケそう

今朝もよく晴れ、しかもほぼ無風。気温は3〜4°くらいまで上がりそう。歩くと汗をかいてしまう。

病院にいると本当に暇だ。都会ならあちこちと用事を済ましながらの見舞いも可能だが、雑木林の中にポツンと離れ、ぐるりと見渡しても商店の一軒もないようなところでは、用事などしようもない。病院から少し離れたT字路まで雪道を散歩。往復3km。他にやることがない。

絵でも描きたいところだが、さすがに病室ではそれは無理。せいぜいパソコンを使って暇つぶし作業をするだけ。パソコンで仕事できる人が羨ましい。こんな日々を今回は15日間過ごす。毎日、介護に費やされるこの労力と時間を考えると、姥捨山政策を進めようとする勢力が、増えることはあっても減ることはないだろうな、と思う。

病院は人間の学校 / Human school

新雪が少し降ったらしい

今日も病院へ。今朝方の新雪で、風景がまた化粧し直した。車の人は顔をしかめるだろうが、ただ見るだけの私には大きなプレゼントだ。雪が降るたびにそれを貰える、有難い暇人だ。

病院に来ると、ふだん意識しない呼吸や、食物を口に入れる、噛む、飲み込む、消化、吸収、排泄という毎日誰もがしていることの有難さを再認識させられる。そして死も。病院は「人間の学校」でもある。

「有難い」ということは、感謝すべきだという意味ではない。文字通り、「有る」ことが難しい(難い)という意味だ。私たちはつい医学の進歩とか社会制度とかを過信しがちで、死についてもそのぶん何となく余裕ができたような気持ちになりやすい。

その過信を、病院は時には一層過信させ、時には簡単に打ち砕く。人間が生き物であり、動物であり、微妙なバランスを取りながらロープの上を滑る、やじろべえであることを病院は教えてくれる。