1月2日

「Apple(未完)」F10 テンペラ 2020・1・1開始

今年は暮れからずいぶんお酒を飲んだ。最近はだいぶ控えめにしていたし、毎日飲みたいとも思わなかったが、体調も良くなってきたのか、暮れの1週間ほどは毎日昼間から飲んだ。1日でワイン一本(720cc)を空にすることもあった。暮れの3日間は缶ビール(350cc)を1日で4〜5本。年が明けたら、なんだかビールが飽きてきた。

11月中頃から今日まで、睡眠薬を飲まずに過ごせている。そうそう、薬と酒とどちらがより体に悪いかなど考えていたのだった。そんなこと考えること自体、頭がおかしくなっている証拠。でも、なんとなくだが薬を飲まない方が、日中のぼんやり感はなくなっているような気がする。薬を飲まずに済むならもう少し続けてみよう。

教室がないので、毎日5〜8時間ほど描いている。ほとんど小品での試作。技法のこと、素材のことや手順など、1点1点あれこれ課題を考えながら描く。そして、それがこれまでの制作とこれからの制作の間にどう関わるかを考える。

それ以外の時間も案外忙しい。でも仕事ではないから、趣味のようなもの(ほんとは仕事しなくちゃいけない)。趣味といえば今は俳句。下手の横好きと言えるほど好きでもないから、締め切りの前日に作る「ねつ造俳句」。あるいは「へそ曲り俳句」。今年は目標を3つ掲げた(心の中だけ)が、まだ2日だというのに、もう達成できない予感が。

正月や諭吉は貧血一葉も    生活感滲み出ていますね。

明けましておめでとうございます

2020年1月1日朝のアトリエ

今朝は9時半起床(目覚めはいつも通り7時ちょっと前)。4時半頃からやっと安心の?眠りに入れたせいか。それまでは前夜の日本酒のせいか暑苦しくて、腕を出したり脚を出したり、もがいていた。

小学生になる前は、元旦といえば「歳取りの日」とか言われて、着物など着て父や祖父に連れられて何処かへ出掛けたこともある(それが神社だったのか、禰宜の家だったのかは全然覚えていない)。小学生になってからはだいぶ生意気になったので、登校せずに済むということ以上の喜びは特になかった(ような気がする)。

ここ数十年は毎年書き(描き)初めをする。スケッチでも水彩でも油彩でもなんでもいいが、とにかく何かを描く。それだけが私の元旦の恒例行事。1月1日にチョロっと描いたって、絵がうまくなるわけでも良くなるわけでもないのに、あえてその日に描き初めをするってことは案外自分も信心深いのかも知れない。…確かに、そのあと近くの神社にお賽銭を上げにも行ったし。

Apple-no.8

「Apple-no.8」 F6 oil on canvas 2019

今年のスポーツの話題といえば、半分以上は「ラグビー」に手が挙がるだろう。珍しく私も試合結果をパソコンで検索するほど引き込まれた。ラグビー人気はW杯が終わった今も続いているらしく、それが日本のスポーツの、じわっと前近代的な風土を吹き払ってくれたらいいと思う。

時事的な話題に迎合したと思われるかも知れないが、その話題を自分の絵に「織り込んで」みた。ラグビーで「no.8」と言えば独特の個性的ポジションであり、フィールドに立つ15人のポジション(役割)のうち、番号そのものがポジション名になっているのは、このno.8(エイト)だけ。「8」はその意味で描き入れた。

にわか勉強だが、ラグビー は15人のうち8人がフォワード(スクラムを組む)、残り7人がバックス(攻撃中心)になる。4人、3人、1人と3段に組むスクラムの最後尾にいて、フォワード全体をコントロールする役目。人間で言えば中枢神経がno.8、スクラム・ハーフ(no.9=SH)、スタンド・オフ(no.10=SO)の3人で、攻撃陣の「脳」がSOならばその下部神経を束ねながら、同時に試合で起こりうるあらゆることを想定し、体を張って単独にでもそれを切り開く能力を要求される難しいポジション、それがno.8だ(とどの本にも書いてある)。今回のW杯日本代表で言えば姫野・アマナキがそのポジション。

けれど、それを知ったからno.8にしたわけではないし、その役割の何かを象徴させようと思ったわけでもない。番号そのものがポジションになっていることが唯一の理由。余談だが私の高校もラグビー が盛んで(決して強くはなかったが)、クラス対抗のラグビー 大会があり、私もラグビー 部の簡単な指導を受けてそれに出場したことがある。それ以上の経験はないが、結構面白く感じ、それ以来(薄いままだが)興味を持ち続けてきた。あの時、自分のポジションはどこだったか思い出せないが、とにかくスクラムにはいた。一番脚が早かったが、なぜかウイング(WTB)にはならなかった。