鬼やらい

目刺し (水彩)

今日は節分。「鬼やらい」ともいい、こちらは俳句の季語などによく使われる。もちろん「節分」も季語。明日は「立春」。今日の気温はマイナス3℃~12℃と出ているが、数字よりは暖かく感じられる。春近し。

けれど、少し長めの予報を見ると2月の前半はかなり寒いという。全国的に雪も多いらしく、一昨日頃青森県・八甲田山の酸ヶ湯で4m25cmという。昨年は3m01cmというから3割増しということになる。一方で、乾いているところはずっと乾燥注意報が出続けている。

節分の日になぜイワシの切り身を窓などに挿すかといえば、イワシは腐るのが早く、その匂いに鬼が近づかない、つまり鬼あっちへ行け、鬼やらい、という説が一般的なのだそうだ。そんなことも考えながら描いてみた。目刺しの「棒・串?」の挿し方、魚体の見せ方にも業者なりの工夫があるんだな、と気づかされる。

スターバックスを描いてみたら・・・

スターバックスのエスプレッソを描く  (CGスケッチ) 

「スターバックス」を描いてみた。単純な色づかいで初心者向きかなと、教室でのモチーフ用にサンプルとして買っておいたもの(我が家の誰かにすでに飲まれていたが)。

近くで見ると、暗い部分だけでも数段階に分けられていて、しかも明暗差が非常に小さい(微妙)。それを教室の人たち全員が「絵の具で」表現できるとは思えないと感じて断念した。そこがこのデザイナーのプライドなのかもしれません。

仮に「水彩」で描くとする。水彩は「明→暗」という一方通行しかできない画材。色を見分けることができたとしても、所定の明度に収めるためには、バランスを比べながら最低でも数回の塗り重ねが必要になる。筆で描けば必ずいくらかずつズレが生じる(その良さもあるのだが)。そのうえで、離れて見ればピシッと決まるためには、巨大サイズでないと、描き分けが難しい。web 上と実材(絵の具、紙など現存の素材)の感覚の違いの一例。

こういうモノを描くようになって感じるのは、「デザイナー」ってすごいなってこと。「芸術至上主義」的に生きてきたわたしには、どこかで無意識にデザインというものを「芸術」より軽視する気持ちがあったのかもしれない。最近のスケッチを通して、ひしひしと反省している。

至福の粒つぶ

パソコン内の写真を検索しているうち、こんな写真を見つけた。「ウニの歯」の鋭さ、巨大さのことをブログに載せた時のものだ。データには2018年7月15日とある。下北半島から弟が送ってくれた4kgの活ウニをアトリエで剝いている。下着のシャツを裏返しに着ているのが笑ってしまう。

「いい時間だなあ」と思う。高価なウニを立派なお店で食べるのではなく、自分で剥いて、食べたいだけ食べる。なんという贅沢な夕餉になったことだろう。でも、そういうモノのことではなく、たぶんそれらすべてが繋がって自分が解放された時間だったから。

「一瞬を大切にしよう」と、最近つよく思うようになった。「時間は一瞬一瞬の積み重ね」ではなく、むしろ逆に「一瞬にこそ、時間は濃縮されている」のではないかとも。そして、もしかするとそんな一瞬たちが「幸福」の粒つぶなのではないかなどと。

でも、どうやったらその一瞬、一瞬に立ち会えるのだろう。至福のひとときが、誰にでも偶然に、頻繁に訪れるなどと思うのは難しい。そのうえその瞬間にあるとき、なぜか気づかずに過ぎ去ってしまう。もっと敏感にならなくちゃ、と思う。