一喜一憂しない・「道」

「Apple and a Book」  F4 Tempera

北京オリンピックが始まってもう10日目くらいになる。コロナのことと国際情勢が気になっていたが、ニュースを見聞きする度に話題になるのでついそちらにも気を引かれてしまう。そのなかで感心したのはスノーボードの平野歩夢(あゆむ)選手のインタビューだった。

選手に限らず、芸能人でも政治家でも、NHKと民放とのインタビューとで、微妙に態度が変わる人がほとんどだと、わたしはこれまでずっと感じていた。大多数は心なしかNHKのインタビューアーに「合わせて話」しているように感じるのだが、彼はそうではなさそうだった。海外で取材されることに慣れているせいなのか、「普通に(自分本位に)」話す。それがカッコいいなと思った。
 スノーボード(ハーフパイプ)の最高難度の技「トリプルコーク1440」も、試合で成功させているのは世界で彼だけなのだそうだが、あの堂々とした態度(たぶん「生意気」だとか、逆に不快に感じる人もきっといるだろう)もまた、「へりくだりオンリー」の日本人選手の中では、案外彼くらいにしかできないものなのかもしれない。何かといえば「周囲への感謝」ばかり口にする選手には申し訳ないが、もうウンザリ。「もっと素直に本音を言えばいいのに」と言いたい気分を彼が消してくれた。

夏の東京オリンピックでも、たまたま彼のインタビューを見た。たしか、メダルを獲ることはできなかったと思うが(レース自体見ていない)、金メダル確定後の今回との話し方が全然変わらない。まだ23歳だというが、メダル云々よりそっちのほうが凄いと思った。
  金メダルは「相対的」なものだが、「生き方」はそうではない。―(言葉はそのままではないが)「周りがどうであれ、直前の結果がどうであれ、いま目の前にあることに集中することが(普通に)できるようになった。それが自分の成長」だと語っていた。そしてそれをテレビカメラの前でも「普通にやっている」ことにいささか感動する。この人は「自分の」スノーボード「道」を建設しているんだな、と思う。

繰り返しになるが、「一喜一憂」するということは直前の結果に、それも周囲の評価にとらわれる、ということ。個人ならそれにもそれなりの意味がある。けれど、「道」を作るということは、その跡を人が踏んでいくという大前提がある。その「ゴール」を見据えれば、NKKはじめメディアの勝手な毀誉褒貶に一喜一憂などしてはいられない。「道を建設する」というのはそういうことからしても異次元のことだろうと思う。
 金・銀のメダルはその「道」の建設資産として有用だし、積極的に活用すべきだろう。けれど、一方でそういう打算を排除する潔さ(ピュアなこころ)が、「道」を求める者には不可欠でもあろうと勝手に想像する。それがあるかないか。ただの23歳にならそれを求めるのは酷かもしれないが、求道者としての彼にとっては「薫風」でありたいと願う。

今年こそ「風景」を描く

赤の風景(エスキース)

今年2022こそ、「風景」をまじめに描くつもり。まじめに、というのは写実的にという意味ではなく、正面のテーマに据えてみようということ。スケッチではなく、「自分の絵」にしてみるということ。

自分の絵と言ったってピンとこないが、まあ少しずつ自己満足と独自性の度合いが高まればいい。そのための「エスキース」第一歩。スケッチのように、見たままを描くわけではないから、どうしてもエスキースが要る。

Appleの流れで考える。まずは背景を「風景らしく」という一番手っ取り早いところから始める。そしてなるべく手を動かすことにしよう。何でもかんでもコロナにかこつけて少し消極的になり過ぎてしまったかも。

オミクロンが大流行しつつある。しかもその中のさらに感染力が強いとされるBA2がもうすぐ主流になりそうだ。こもっていても感染すると言われるくらいだから、正直言ってもう防ぎようがない感じ。さいわい、ワクチンで重症化を防ぐ効果と、他者への感染を低減する効果はあるらしいから、それに期待して、かつ自分のやりたいことはやることにしようと思う。

鬼やらい

目刺し (水彩)

今日は節分。「鬼やらい」ともいい、こちらは俳句の季語などによく使われる。もちろん「節分」も季語。明日は「立春」。今日の気温はマイナス3℃~12℃と出ているが、数字よりは暖かく感じられる。春近し。

けれど、少し長めの予報を見ると2月の前半はかなり寒いという。全国的に雪も多いらしく、一昨日頃青森県・八甲田山の酸ヶ湯で4m25cmという。昨年は3m01cmというから3割増しということになる。一方で、乾いているところはずっと乾燥注意報が出続けている。

節分の日になぜイワシの切り身を窓などに挿すかといえば、イワシは腐るのが早く、その匂いに鬼が近づかない、つまり鬼あっちへ行け、鬼やらい、という説が一般的なのだそうだ。そんなことも考えながら描いてみた。目刺しの「棒・串?」の挿し方、魚体の見せ方にも業者なりの工夫があるんだな、と気づかされる。