ワインデー

切子のお猪口

昨日に引き続き、今日も暑い日だった。今日はどこへも出かけないつもりで、お昼にちょっとワインを飲んだ。するするっと一杯が2杯になり、2杯が3杯に。昼ご飯代わりに飲んでしまった。動画編集をするつもりだったのに、ビデオを見るだけで夕方になってしまった。

やることは山ほどあるのに、(ワインを飲まなくても)仕事のスピードはどんどん落ちる。覚えることも山ほどあるのに忘れる方が多いくらい。ああ。夕方から、ハガキ大の紙にペンと水彩のスケッチ練習をした。10月中旬までに12枚描く必要があるためだが、ひさしぶりにハガキ大を持つといかにも小さい。そのために昨日0.2mmと0.3mmのペンを買ってきたのに、それでも太い感じがして、0.1mmを探した。6枚描いてみたが、使えるのは無さそう。

切り子のグラスー2

切り子のグラスー2 (CGスケッチ)

昨日に引き続き、切子のグラス。実作としては「一昨日に引き続き」。昨日は別の「切子グラス」を描いていた。

意外に意気込んで描いたし、時間も意外にかかった。でも、こうやってみると、最初に、ややいい加減に描いたモノクロのグラスに負けている。時間は倍もかかったのに、アマいんだよね、絵が。

せんじ詰めれば「色があるから」かな。色があると何でもリッチな気分になる。それは本当。だから誰でも使いたくなるし、使ったこと自体に逆説的に「リッチさ」を感じちゃったりする。そんなもの求めてもいないつもりでも、感覚は意識の外でもあるから。

発想

切り子のグラス  (CG)

発想というのはある日あるとき、突然に頭に閃くもの。そして、それはずっと考え続けていたバラバラなものが、急にこれまで予想もしなかった結びつき方をした瞬間。ノーベル賞受賞者たちの中にはこういう体験を話す人がいる。ノーベル賞でなくても、発明家などにも同様の体験をする人が少なくないらしい。

自分と比べるのもおこがましいが、レベルを別にすれば似たり寄ったりの体験は、誰でもある程度あるのではないだろうか。一方で、あの人の発想はいつもちょっと変わっている、などということもあり、その場合は突然ではなく、普段から別回路の発想法?をもっているということになるだろうか。

わたしがいま望むのは「ノーベル賞型」ではなく、「発想法型」の発想法である。言うまでもなく、マネできそうなのはそちらしかないからだが、そう思っていろいろ調べたり、考えたりしていると、発想(法)云々は実は発想の問題ではなく、単に「考えること」なのではないかという気がしてきた。要するに、「考えない人」から見れば「考える人」がユニークな発想に見えるだけなのではないか、天才的な発想というのは確かにあるだろうが、一般的にはそういうことがほとんどなのではないか、と思えてきたのである。

考えない人などいないだろ!お怒りはごもっともです。でも、まともに、とか論理的あるいは合理的に、とかあるいは科学的に等々、少し限定すると急にその怒りも鎮まるように思う。何が大切で、そのためにはどうするのか、どんな方法があるのか、それを自分でどうやるのか、そんな筋道を「普通に考える」ことのほうが、案外「ユニーク」と考えられているのではないか。「考えること」は「思う」こととは違う。考えるためには知らなくてはならないし、知るためには学ぶ・調べる・経験するという「行動」が要る。わたしが「考えない人」のど真ん中にいる理由はこれだな。ナマケモノなんだ。