秋深む

      「山荘の秋」 水彩

秋も深まった。もう十二月だからすでに「冬」なのだが、外へ出ればまだ黄葉が残り、ウォーキングすれば汗ばむくらいの(関東南部の)気候では、冬というよりは「秋深む」のほうが感覚的に近い。

世の中のスピードは早い。早すぎるほどだ。そして、あらゆることについていけないという危機感ばかり募ってくる。それは現代だからではなく、植物を含むあらゆる生き物が、古代からずっとそうしてきた、と学者たちは言う。どの時代でも、子は親より新しいことを身につけ、親世代は遅ればせながら必死についていこうとしたものだ、とも言う。

世の中がどんなに早く進んでも、夏が春を追い越すことはなく、冬が秋より先に来ることはない。人間の体内を廻る血液の早さが、世の中のスピードに合わせて変わるわけではない。とこれまで思ってきた。いや、本当は微妙に脳への血液循環が遅くなるのかも知れん。「加齢」という、本当はなにも説明していない隠れた流行語の陰に、その症状が現れているのかもしれない。

ものを見るのには時間が要る。一個の柿を見るとき、人の心の中には数万通りのアイデアがあるだろう。美味しいか、そうでないか。値段は?どこで買ったのか。近所の家の柿とどう違うのだろう、柿もやっぱり生き物だ、いまが旬だな、○○さんにあげようかなetc…。チラッと見る、じっくり見る、そこからなにかを感じるまでの時間が要る。などとヒマごと言ってるからついていけなくなるんだぞ、と空気から伝わってくる。

手を動かしていさえすればいい

折り紙のキャンディボックスと江戸切子のグラス  ペン

今日は22度もあり、夏日?と思うほど暖かかった。夕方ウォーキングする時間がなかったので、夜になってから少し歩いたら、汗をかきそうで時どき “冷ま” さないといけなかったほど。でも、明日は8度も気温が下がるというから用心だ。

ここ最近スケッチがなんとなく面白く、時には日に何枚か描く。手軽に、構えずに描けるから、一種の暇つぶし感覚になっている。それに、手のリハビリ。毎日少しずつ手指のこわばりも強くなってくるのを感じるし、機能も落ちてくる。眼も、脳も一緒だから、まとめてリハビリできるからスケッチはお得だ。短ければ30分、長くても1時間もかけないから、心理的な負担もなく、かえって解放感があるから続けられる。むしろ、そちらにハマり過ぎるのを心配しなくちゃならない。

考えてみると、こんなことできる時間は一生のうちのほんの “一瞬” 。大事に味わいたいんだ。

表情

     「少年のかお」   ペン

子どもと言えば、年齢にもよるが「可愛い」から始まって、「あどけない」「無邪気」「輝くような」「エネルギーに満ちた」等々の “前向き” な褒め言葉の羅列に埋まっている。可愛げが無い、疑わし気な、陰気な、反抗的な、などと言う言葉を子どもに見つけ出すとき、「子供らしくない」という一方的な大人目線で、それだけで低評価してしまいがちだ。

映像などでガザの子どもたちの表情を見るとき、小さな子どもにも複雑で大きな不安や心の揺れのあることが、誰にでも見て取れる。ガザのように巨大で直接的な圧迫でなくても、例えば母親がちょっと病気で寝込んだりすると、子どもの顔にもすぐに影が現れる。(子どもは)無邪気で可愛いだけと思いこんでいるステレオタイプの大人の方が、よっぽど無邪気で可愛いと、子どもの方が呆れているかもしれない。

表情をできるだけ消し去り、たとえば素朴な機械式ロボットのようだったり、目も鼻もない、卵の殻のような顔を描いても、見る人はそこに(無意識に)「表情」を読み取ろうとするものらしい。表情を読むことが、人類にとって生きるために必要だったからだ、とも言われているが、たぶんそうなのだろう。

好きな顔、嫌いな顔、誰にも顔に対する自分好みの階級?がある。それは時として対象の顔に自分を鏡のように映しているせいなのかもしれない。一本の輪郭線を修正するとき、微かに混じりこむ「好み」のようなもの。そこにスケッチを描く人のなにかが、きっと写されている。