課題

日光・中禅寺湖
              「日光・中禅寺湖」  水彩+アクリル
          アイデアスケッチ 画面を△□で埋め尽くす

水彩の教室で課題を出した。紅葉も今たけなわ。秋の風景を描いてみよう、ということが一つ。その際、色を平面的に塗ることが2つめ。そのために使えるかたちを、(可能ならば)三角形と四角形だけで構成することが3つめ。この3つを同時に1枚の画面にすることを提案した。

課題の大まかな意図は、抽象的な思考へのステップ。色とかたちの「平面化(単純化)」はそうした思考の足掛かりで、現代の絵画思考ともつながる。

単純に秋の風景を描こうと思っていた教室の人達は、大いに戸惑った様子。こんな、 “純” 具象的なモチーフ(写真)を各自個別に選び、しかも三角、四角だけで描けという。なにかいきなり罰ゲームでも食らったような、 “身に覚えはないが・・?” って顔を最初はしていた。

ちょっと無責任な課題の出し方だったかもなー、と実は今になって反省しているところ。もう少し丁寧にかみ砕いて、段階を切ってやるべきだったが、気持ちが急いでしまった。
 そんなわけで、自分でもおなじ課題を背負ってみることにした。色は平面的な塗り方(陰影表現をしない)でも、アクリルでマチエール(素材感)を作っているので、意図しない変化が勝手に現れる(やや違反気味だが)。やってみると、予想通り難しい(皆さんごめんヨ)。でも、たぶんわたしが驚くような発想をきっと見せてくれると思うヨ。

手を動かしていさえすればいい

折り紙のキャンディボックスと江戸切子のグラス  ペン

今日は22度もあり、夏日?と思うほど暖かかった。夕方ウォーキングする時間がなかったので、夜になってから少し歩いたら、汗をかきそうで時どき “冷ま” さないといけなかったほど。でも、明日は8度も気温が下がるというから用心だ。

ここ最近スケッチがなんとなく面白く、時には日に何枚か描く。手軽に、構えずに描けるから、一種の暇つぶし感覚になっている。それに、手のリハビリ。毎日少しずつ手指のこわばりも強くなってくるのを感じるし、機能も落ちてくる。眼も、脳も一緒だから、まとめてリハビリできるからスケッチはお得だ。短ければ30分、長くても1時間もかけないから、心理的な負担もなく、かえって解放感があるから続けられる。むしろ、そちらにハマり過ぎるのを心配しなくちゃならない。

考えてみると、こんなことできる時間は一生のうちのほんの “一瞬” 。大事に味わいたいんだ。

藤澤伸介個展から

個展会場にて。手前が藤澤さん
ワイヤーによる造形、「JAZZ」
キリンビールの箱からだろうか、麒麟のプリントをコラージュしているのも藤澤さんらしい
「ベランダの夜の雨」

東京・神楽坂のギャラリーAYUMI で開催中(11/14~19)の「藤澤伸介個展」に行ってきた。「走り出す色 笑い出す形」と題した展示だが、―切り紙とワイヤーアートで音を視る―と副題がついている。色、形が「音」で繋がっているコンセプト。

作品を見ながらつくづく感じるのは、技術は練習次第である程度真似ができるけれど、センスというのはそれができないものだ、ということ。水彩絵の具を塗った紙をカットし、既に貼りつけられたそれらの上にさらに大胆に重ねていく。言葉でいうとたったそれだけのことでさえ、誰も同じ(印象の)ものを作ることができない(それは全然マイナーなことではないけれど)。

なぜできないかと言えば、そこに藤澤さんのこれまでの人生(のすべて)が重なっているからだ。―カッターナイフの尖端があるところで止まり、曲がり、断ち落とす。どこに貼りつけるかはほとんど直感以外にないが、偶然ということもあり得ない。
 一本のワイヤーにしても、彼の彫刻家としての経験以前に、自分自身の身体的リアクションと一体になった素材の選択眼というものが、かたちと同時にある。そんなふうな感覚(五感)に素直になる(なれる)ことに作家の感性の柔らかさをわたしは感じる。藤澤さんの個展を見るたびに、毎回その素直さに衝撃を受ける。そして、まだ多くの人に知られていないことをさらに惜しむ。