「冬の日」をアップロード

3月7日 18:00 にアップしました

「人物スケッチー冬の日」をアップロードしました。2月は人物スケッチの機会が多かったので、ついでにYouTube用に2本撮った。教室で、個々に顔の描き方など指導するのもいいが、人物を描く機会が減るとそれとともに記憶が薄れてしまう。そんなときのために、既にいくつかアップしてあるけれど、それに「普段のスピードで描く」、早送りしないという新しい要素を加えてアップした。

ノーカット、ノーマルスピードで描くと、どんなに短くしてもビデオは1時間を軽く超える。つい最近まで、「YouTubeビデオの長さは10分以下、短いほど良い。長くても13,4分~20分以内」を目標に製作していた。ビデオの作り方などみるとそう書いてあったし、そんなアドバイスもあったから、初心者としてはそういうチェックリストを頭に置いて作っていたわけです。

でも、それは大変だった。物理的にも時間を膨大に消費するだけでなく、それが心理的にも作用し、無理な姿勢で描くなど、身体的な面にも不調が増えてきた。製作自体がだんだん億劫になり、ごく最近では、「最低でも月に1本」という気力さえ無くなってきた。それが反映されてか、視聴回数も多い時の1/3、1/4、1/5と減ってきた。

1月末に一週間ほど入院し、長い夜の時間にいろいろ考えた。セットのかたちも変え、編集の考え方も変えてみた。少なくとも身体的、物理的負担は半分になったような気がする。そのぶん他のことができるようになって、気持ちも若干軽くなった。これで視聴回数が増えれば改良大成功だし、増えなくてももう元には戻さずそのままやめる、という選択肢ができた。ルーティンに捉われず、変えてみることも大事なようです。
 
 

北風と太陽

        「乾いた花など」  ペン

「北風と太陽」というイソップの寓話のことは多くの人が知っている、と思う。どちらが強いかを互いに譲らない北風と太陽が、厚いコートを着て歩いている旅人を指し、「どちらが彼のコートを脱がすか競争しよう」という、あの話である。

国際社会を見ると、太陽はずっと遠くに行ったきり行方不明。北風だけがいくつも立ち上がり、お互いの強さだけを競い合っている。北風の吹きつける風の強さ、冷たさはイソップの時代よりはるかに進化し、AIを駆使して周到に仕組まれた作戦によって、一瞬にして旅人は凍ってしまう。

どちらが先にコートを脱がせるか、がルールだったはずだと弱い北風が言うと、「そんなルールなどオレには必要ない」と強い北風はその場でルールを勝手に変更してしまう。イソップの時代には普通だったそんな横暴を変えたいと、彼が作った寓話がむしろそれ以前の状態に戻ってしまったことに、彼はどんな言葉を発するだろうか。

今日は一日中強風が吹き荒れた。最近の日課になった自転車散歩も、出かけてはみたものの強い向かい風でさっさと退散してきた。けれどホトケノザは群がるように道の端を埋め、ところどころに水仙の花が揺れている。もう凍えることはなさそうだ。一昨日は「皆既月食」。すっかり忘れていたが、遠くにいったままだと思われていた太陽は、そんなところにひょっこり顔を出していた。

「手」の行きついたところ

     「手」   水彩

手は人間と動物を分ける一番の物理的な象徴かも知れません。「脳」という人もいそうですが、多くの哺乳類はもちろん、ムカデなどの節足動物などにもちゃんとした脳があります。軟体動物の、特にタコの知能の高さはよく知られています。クラゲやイソギンチャクでは、神経はありますが特定の脳という部位は無いようです。

普段は意識もせずに使っている「手」ですが、いったん指一本でも怪我などで使いにくくなると、途端に生活の質が落ちるのがわかります。逆に言えば、手を使いこなすことがどれだけ文明を発展させてきたか、に想像を広げることができます。

犬や猫の前足は「手」ではありません。「手」の定義ははっきりしていませんが、「ものをつかみ、道具などを操作できる機能を持つ身体の一部」というあたりが納得を得られるところでしょうか。犬や猫の前足は、あくまで前足の機能(引っかく、押さえつける)であって、道具などを操作することはできません。その意味で、類人猿や多くの猿の手は立派な「手」です。
 その手で、人類は多くの利便を得、文明を発展させ、それと同時並行的に多くの知識も獲得してきました。その「道具を操作できる機能」は、一方で常に人を殺す武器をも作り出し、その知識は多くの動植物を絶滅させてもきました。

そして、これからはAIが人類の「手と知識」を奪い取る時代です。もう、ヒトが自らの手と脳でモノを作り出す苦労も、新しい知識を吸収するための勉強も必要ないのです。あんなにも美しい「手」を、もう労働なんかで傷つけることもありません。本能的(動物的?)欲望のままに、ポンとボタンを押す以外に使う必要がなくなったのです。
 SFマンガの時代が本当に出現しました。少数の「統治者」がコンピューターにコンピューターを操らせ、機械が機械を作り出し、コンピューター同士が(まだるっこしい人間言語など使わずに)新しい知識を積み上げていくでしょう。
 コンピューターに飼われている人間は何をするんでしょうか?戦争ゲームまたはハンティングゲーム以外にもうやることはないでしょう。「自殺」さえできなくなりますけどね。