風景

公園から (水彩)

木の肌を見ていた。コケのようなものが木肌についている。それがなんだか斑点のようだ。向こうの木には陽が当たり、少しだけすべっとした手ざわり感。樹種が異なるから、樹形も全然違う。

足元に影が伸びてくる。よく見ると枯葉の一枚一枚もとてもきれいだ。そこにも一つの完結した世界があるのをはっきりと感じる。きれいなものをきれいなままに描きたい、と思えばきれいさだけを抜き取る以外にない。でも、どうやって?

そうだ、きれいな風景があるのではない、のだった。それだけを見ていても本当は何も解らない。「見るべきものは自分、自分の中にその風景がある」のだった。自分で言っといて忘れるなんて…その程度の自分だなあ。

風景

公園からーEvergreen (水彩)

風景ー美しい自然環境や、人間と自然の織りなす風土、歴史的環境などを描くもの。そんな風に多くの人は思っているし、私も長くそんな風に思ってきた。

絵というのはどんなものを描いても自画像だ、という言い方がある。もう少し私流に言いかえれば、どんなものを見てもそこにあるのは自分の投影だということ。寂しい人にはどんなものも寂しく見え、寂しいものしか見えてこない。

美しい風景があるのではなく、美しさを感じる心がそこにある、ということだろう。絵というものはきっとそうやってできているものだ。

自分に帰る

「モデル」 水彩 F10

とうとう12月。しばらく制作途中の絵から離れていた。1週間も遠ざかると、まるで絵の神経が切れてしまったかのように感じる。描きかけの絵を一日中呆然と眺めるばかりで、線一本さえ加筆することができない。

やがて感覚が少しずつ戻りはじめ、翌日くらいからやっと「自分」が帰ってくる。