子どものかお

「子どものかお」  フェルトペン

今までほとんど絵を描かずに過ごしてきた人たちが、生成AIを使って “オリジナル” の絵を描き、「作家、画家」としてどんどんデビューし始めているというニュースが、もうニュースではなくなってきた。

鉛筆などの筆記用具もクレヨンや水彩といった画材も使わない。広いアトリエも用意しなくていいし、画材の知識も必要ない。言葉だけで、3~4種類の絵が3分で完成する。それが売れる。

美大を受けるためにデッサンなど時間を体力とお金を使って勉強したり、画塾へ通って腕を磨き、公募展などで入選、受賞と努力を積み重ねていく。日々の修練を欠かさず、お金と時間を割いて取材に行く。そんなことは無意味なことなんだろうか、少なくともプロを目指す人にとっては。

絵が下手だ、と自分の絵に自信を持てなかった人、描くのは好きなのに身体的にできなくなった人、そうした人々にとって、可能性が膨らむのはいいことだ。小説を書くなど考えたこともなかった人も、いくつかのヒントをAIに与えるだけで、小説家になれるかもしれない。心身を削って、一語一語絞り出さなくてもよくなり、作家の健康にとってもいいことだ。病気になって身体を動かすのも大変なのに、長い待ち時間を強いられる病院など行かず、AIのお医者さんに尋ねれば済むことは、患者にとっても、医療費の増大に悩む自治体や国にとってもいいことだ。
 そのうちあらゆる発想もAIにお任せし、結果の判定もAIに任せれば、見解の相違などと対立することもなく平和になる。自分にとっての幸福とはなにか、もAIが考えて?くれるだろう。誰も悩みなど持たず、ましてや自殺など考えずに済むのはいいことだ。

数学

      「椿の実」  ペン

椿の実(と種)はいつ見ても宇宙を、というより「真理」というものが本当にあるかもしれない、とわたしを虚心にさせる。

椿の実をバラしてみたことがあるだろうか。庭に椿を植えている人でも、もしかしたらそういう経験がないかも知れない。知らぬ間に実が弾け、種が地面に落ちてしまっていることが普通だから。
 でも、たまたま弾ける前の実を採っていたら、それを見ることができる。(視覚的には)極めて単純なかたちの種がそこに在るのだが、それらがどう繋がっていたのか、くっつけてみようとするとかなり難易度の高いパズルになる。たったこれだけの個数なのに、どれも微妙な凸面凹面を持っていて、それが立体である分、パズル好きにも十分楽しめる。

椿は花ももちろん美しいが、弾けた実殻と種の不思議な魅力にもわたしは深く魅入られる。そして、そこに美しい「数学」を感じる。特にその種には、それらが互いに似かよっているくせに同じかたちは二つと無い、ということを強く意識させられる。それはたぶん、カボチャやリンゴの種のように1個1個が独立せず、種どうしがくっついていることに依るからだろうけれど、それにしても一個一個のどれもが、鋭く無駄のない曲線、曲面を持ち、「生物学的」というよりは「数学的」と呼びたい美しさだ。
 オウムガイの螺旋とフィボナッチ数列との一致がよく知られている。そんな “数学的論理性” が椿の種にもきっとあるはずだ、と夢想する。

「不思議」は「理解不能」とは違う。それは別次元のことだ。不思議さというのは、一見すぐに理解できそうでいて、「考えれば考えるほど、さらにその先に引かれていくような深さ」のこと(そして最後にはちゃんと理解できるはず、と信じられること)。椿の種には「不思議100%」が詰まっている。
 数学は苦手だったが、子どもの頃にこんな不思議さを教えてくれる先生がいたら、今の1000倍くらい数学が好きになっていただろう、と思う。

空中浮揚の夢

        「青柿」  水彩+アクリル

ちょっと変わった夢をみた。どこかの山奥の村。わたしの故郷とは全く違うが、なんとなく既視感があり、どうやらそれなりの期間、ここに住んでいたっぽい雰囲気。身内の人が住んでいるくらいだから。その、親戚らしいわたしより2つか3つ年上のおばさんがかつて習った、という先生がここに住んでいる、となぜかわたしをその人の住宅に案内した。

留守だったので帰ろうとするところに、その先生が帰ってきた。見るとまるで女子中学生か高校生という感じ。計算上、どんなに少なくとも80歳は絶対越えていなくてはならないはずなのにシワひとつなく、マシュマロのように真っ白で滑らかな肌に、アーモンド型の大きなはっきりした眼。鼻はクッキリ小さく、ピノキオのように少しとんがっている。

その異常な若さを疑問に思いながら誘われて中へ。玄関を入ったところにちょっとしたスペースがあり、上を見ると円錐の底から見上げたような穴が開いている。ドーム天井というほど優雅なものではない。何の穴だろう、ますます不思議な気持で居間に移る。なぜかわたしの記憶の中の品々がそこかしこに置かれている。「へえ~!」と言ったかどうか忘れたが、近づいて手にとってみようとしたら、何となく体がすっと浮いた気がする。
 足元を見ても別に浮いてはいない。が、もう一歩踏み出すと、今度は床を踏んだ感覚がない。あらためて足元を見ると10センチほど浮いている!

二階も見て、というので玄関ホールに戻り、円錐状の穴の下へ行く。すると先生の身体がすうっと吸い込まれるようにその穴に吸い上げられていく。わたしもおばさんも続く。
―(中略)―「先生はどうしてそんなに若いんですか?」と溜まった息を吐きだすように疑問を口にするわたし。「この家は不思議な家で、ところどころ無重力のところがあるの。」「身体に重力という圧がかからないから、顔も身体も垂れ下がってこないのよ」「だからかも」と微笑む。―(後略)―