「失敗」の「成果」

「少し急ぐ」 水彩・F4   2020.12.12

「失敗」と「成功」は正反対の概念のように思える。一見両立しない、コインの表裏のようだが、よく見れば「表」と「裏」はわずかな厚みの差だけ。「失敗」と「成果」ならどうだろう。「成果」は、失敗からも成功からも得ることができる。私の場合、特に失敗から学ぶことの方が、これまでは大きかったように思う。

失敗から多くを学べるようなケースもあれば、成功はしたものの、僥倖的な成功体験が次の大失敗につながる事例を、私たちは日常的、歴史的に経験してきた(している)。「失敗は成功のもと」は、まだまだ死語ではない。

「なぜ失敗した(する)のか」。冷静で粘り強い分析は、よく言われる「プチ成功体験」より、ある意味でかなり積極的な姿勢だと思う。失敗から目を背けず、失敗という他人目線の批評を越えて、未来を肯定する指向性をもっているからだ。そもそも、行動しなければ失敗さえできない。そのうえでそういう指向をするとき、「失敗」はすでにひとつの立派な「成果」だと言ってよい。

私たち(日本人)は、失敗をつい「自分の力の無さ」「人に迷惑をかけた」などと卑下しがちで、失敗を「怖れ」「隠し」、それゆえにことさら他人の失敗を非難したくなる国民性を持っているようだ。そうした「失敗の個人化」ではなく、「失敗こそ共有財産」と認識し、多くの人の意見の中でその分析をし、未来に繋げていく、粘り強い冷静さを持ちたい。そのような国民性を育てるためには何が必要か、私たちの国には、これまでそうした論理性が育たず、実際ほとんど考えてこなかった。コロナ禍の中で、あらためてそのことを感じる日々。

「改善実行レポート」-11日目

「西洋梨」 2020/11/28 ペン・水彩

意味なく歩くことは、生命体の原則に反する。餌が豊富にあればどんな動物だってぐうたら寝ているに違いない。わざわざ腹を空かすためにせっせと歩くなんて、単に危険を増やすだけ。美味しいものを目の前にして、半分でやめておくのも同様である。特に日本では、いつ大地震や豪雨に襲われて、着の身着のままで逃げ出さなければならなくなるかわかったものではないのだから、なおさらである。

メタボ予備軍と判定されたこと、運動と食事の「2週間改善実行レポート」を課されたことはすでに書いた。今回は自分なりに、少しは運動も積極的に取り組んでみようという気持は最初からあったが、それでも心の中にはこんな論理もないわけではなかった。

ところが、不思議なことに「万歩計」をつけるだけで、歩く意味がどうこうというより、なぜか理屈抜きに歩数を増やしたくなるのである。「数字の魔力」か、あるいは万歩計のなかに人を洗脳する仕掛けが隠されているのではないか、と疑いたくなるほど。もしそうなら大勢の人が毎日せっせと歩く理由もわからないではない。万歩計をつけ始めて、すでに3回も1万歩越えを達成してしまった。我ながら驚愕である。

それどころか、2日も続けて早朝ウォーキングまで敢行するなんて、やはり頭がおかしくなったのではないか!早朝ウォーキングなんて、少なくとも5年以上前からやったことはない。毎朝、目が覚めてからしばらくの時間、ボーっと考え事をする習慣がある。大事な時間でもあるが、ボーっとしながら歩いたら一石二鳥?なんて虫のいいことを考えた。二兎を追う者は一兎をも得ず、ということもあるんだけど。まあ、3日は続かなかったから、三日坊主にはならなかったが。

周辺知識

「西洋梨」(制作中) 2020/11/28 ペン・水彩

「周辺知識」とは、たとえば「自分も油絵を描けるようになりたい」ということがメインだとすると、「展覧会情報」とか、「画材の知識」「あの人も絵を描いているんだって!」「あそこの画材店が安いよ」などなど、のことです。

「周辺」という語感から、知らなければ知らなくてもいい知識、雑知識の類に思われがちです。けれども、実際上は「周辺知識」の大ピラミッドの上に、ちょこんと「メインの知識」が載っているイメージです。「油絵」なら、展覧会情報など知らなくても、絵を描くことはできます。けれど、パソコンではせっかく高いソフトを買ったのに、「周辺知識」がないと、ほとんど使えないということを毎日のように体験します。

「常識」が違うといえばいいのでしょうか。油絵を描いたことがなくても、水彩画ならやったことがあるとか、身近に油絵を描いている人がいる等々、なんとなく見よう見まねで類推できる、アナログの部分があるのですが、デジタルになるとそれが全然通用しない、という感じなのです。パソコンでも慣れてくると、ここはこういうふうに考える(処理する)という常識ができるようですが、慣れないといつまでもキーボードの前で立ち尽くすことになってしまいます。

どうしたらいいのかと聞けば、なんでも適当にやってみればいい、と返されてしまいますが、何をどうできるのかの見当さえつかない状態だから、「適当に」などできるはずもない。ほかの人はどうやっているのか、わからないことをどうやって調べたらいいか、そこに行きつく前に諦める人もいそうな気がします。でも、とにかく、そうやって周辺知識を少しずつ増やしていくことが、まずはパソコンを知ることになるようです。同類の方々、めげずに一個ずつ、知識を積み重ねていきましょう。