21個のヒメリンゴ―“チャンス?”

「21個のヒメリンゴ」 2020.11

失敗作のビデオです。手を動かしても普通に見えるようになるはず、と計算したつもりだったが、あとから考えると映像の基礎知識がずどんと抜けていた。しばらく放置していたが、失敗も面白いと考え直した。

油絵や水彩画を描くことと、パソコンで絵を描くこととのあいだに本質的な違いはない(はず)。水彩絵の具を使えば水彩なりの発想をするし、油絵具を使えばそれに対応した感じ方をする。パソコンを使えばパソコンなりの発想があるだろう。そこに流れる感性やものの考え方が、道具次第で別人になるわけではない。

とはいえ、実際に使ってみるとずいぶん勝手が違う。特にパソコンは実材(実際の材料)ではなく、あえていえば架空の材料で絵を描くものだから、「絵」という言葉を辛うじて共通させているだけで、正直に言えば私にとっては別次元のものに感じられる。パソコンは知識の塊だから、私のように感覚的な人間には、ときにはいらついて放り出したくなる。

それでもある瞬間には、絵の具をまぜるとか、乾燥を待つとかの手間なしに、すっと自分の頭の中の映像を表現しているような気持になることもある。絵を描くということにとって、道具の違いは本質的なものではない、と書いたばかりだが、でも、待てよ。それは、これまで空気に触れてこなかった私の中の、私自身も知らなかった部分が露出、研ぎだされているということではないのか。そこに新鮮な自分を見つける”チャンス”があり、それを引き出すのは道具の力なのではないか。そんなことも考えながら、いろいろやってみる。

ダイエット

「ホネ貝と西洋梨」 水彩 F4

メタボ予備軍との判定をきっかけに、渡りに舟とウオーキングを始めたことは何度も書いた。早朝ウォーキングが以外に気持ちよく、それが続けられた理由であることも書いた(急激に始めたせいで少し膝を痛め、自重中)。プラス面だけでなくこんなマイナス面もあるが、足腰がしっかりしてきた実感もある。

けれど「メタボ予備軍からの脱却」という目標から考えれば、まずは「体重を減らす」ことが最優先課題だ。運動は健康には有効であるものの、体重減少という点ではあまり有効ではない。本命は「カロリー制限」である。

前提条件として、自分の「適正体重」というものをまずは知ることから。多くの人にとってはすでに常識なのだろうが、自分としてはまともに向き合ってこなかったから、基礎知識が全然足りないことを感じた。私の場合、適正体重は現状から-10kg。だが、それはすでに「絶望的」。

私は「適正体重」の方を諦めることにし、とりあえず2ヶ月で―2kg。これならたやすく達成できそうだ(と最初は思った)。目標体重と仕事の内容(肉体的か事務的かなど)から、必要カロリーを計算する。私の場合、体重1kgあたり25~30kcalとして、それからここ数日に実際に摂ったカロリーを計算してみると、「恐ろしい」現実が・・・。気を取り直して、目標カロリーを「3食+おやつ」に振り分け、実際のメニューとカロリー表とを試算してみると、にわかにメニュー」が「仮想現実」感を帯びてくる。「小太り」のままでもいい理由を探しはじめる…。

「時代」に乗り遅れる

「Hurry up a little bit(少し急いで)」水彩 F4

先日のブログに載せた絵を描いたとき、途中で何枚か写真を撮っておいたので、それをつないでみた。ここ半年は「動画」とその編集で頭いっぱいなので、とにかく途中経過はなるべく撮っておく。

ウォーキング中、イヤホンからの「乗り遅れない」という語が、耳に引っかかった。ある業者が「時代の波に乗り遅れないように○○をする」という、普通なら聞き流すような流れだったと思うが、「時代の波って、その波の中にいたら分かるものか」という、いつもの反発心が、ことさらにその言葉を「保存」してしまったらしい。

もしかして、私がいま動画(編集)で頭を悩ましていることも、「時代の波」に乗るためなんだろうか?私自身の絵画史では「絵画の時代」はすでに終わっている。何かの文章にそう書いた記憶もある。けれど今も自分は絵を描いている、絵画の時代はすでに閉じたのに?それは、「絵を描くことは私の宿命」だと感じているからだ。どんなに時代遅れになろうと、宿命ならば仕方ない、そう考えているからだ。ーそれなら、なぜいま動画なのか。

ひとつにはパソコンが手軽になり、「動く絵=動画」が自分にも手の届きそうなところにある(?)からだ。世は動画で溢れている。TV会社など専門業者でなければ手の届かなかった映像の世界を、若い人たちはスマホを使って、インスタグラム、YouTubeなど、日記を書くように気安く作っている。油絵具じゃなくたって、水彩絵の具じゃなくたって、自分たちの新しい絵の具で絵を描くよ。そういわれているような気がする。それなら私も新しい道具で絵を描いてみたい。けれど、そう思うこと自体時代の波に乗り遅れまいという心理なのか、いまは判断できない。(現状ではまだ全然ダメだが)、もう少し頑張れば私も「新しい絵の具」で、また新しい自分の絵を描けるのではないか、となんとか希望をつないでいる。