グリーンランプ復活

      「少年鷹匠」  水彩

いいニュースがひとつ。ハンガリーのオルバン政権が選挙で惨敗したこと。
 マジャル・ペーテル氏率いるティサ(尊重と自由)党が、議会の2/3以上の議席を獲得すると伝えられている。国の内外で忌まわしいことが続いているなか、消えていた緑の安全ランプが光を取り戻したような気がする。

ただし、16年間続いたオルバン氏による「国家乗っ取り」(とヨーロッパでは言われているそうな)システムの解体は難工事が予想されている。いわゆる「既得権益」受益層からの反発、揺り戻し工作が必至だからだ。それを乗り切れるかどうかは、高齢者が若い人たちを支える側に回るかどうかだろう。

議会の 2/3 を超えるといえば、ついこの間の衆議院議員選挙における「高市圧勝」を思い出す。オルバン氏が独裁に近い現在の政権に就いた16年前も、やはり議会の 2/3 以上の議席で圧勝し、それを基盤に憲法を変え、選挙制度を変え、国家機関の人事制度などを変え、メディアや国営企業の人事、経営に身内や取り巻きを据えるなど、時には暴力も厭わず権力維持のために有効な改変を施してきた、と指摘されている。その過程でプーチンとの関係を深め、ハンガリーのプーチンになるべく自ら傀儡となっていった。そのプロセスがEUなどから指摘され、時には反EU的な行動が制裁の対象にもなった。ウクライナ戦争で、しばしばプーチン側に立ち、EUやNATOのウクライナ支援を邪魔してきたのはご存知の通り。
 オルバン政権交代を見て、EUは「ハンガリーはヨーロッパを選択した」と好感している。

高市政権は衆議院の 2/3 以上を獲得し、高市氏は「憲法改正」が視野に入ってきた、と述べ、憲法審査会などを積極的に推進する意向を示した。オルバン政権の歴史を想起させる流れだが、今のところ参議院では自民党単独では半数 にも達していない(=101/248。憲法改正の発議には、衆参両院ともに 2/3 以上の賛成が条件)。
 高市氏がオルバン氏のような個人的独裁志向があるとも、今のところは思えない。政権の中枢や国家機関、各種の公営企業等に身内、取り巻きを平気で配置するような、トランプ流の厚かましい人間だとも思わない。かと言って、自民党の独裁をも目指していないとは言い切れない。そこは区別して見ておく必要がある。

スケボーの青年、元気かい?

イェーイ、5週連続、土曜日アップできたぜ。でも、たったそれだけのために、この一週間、少なくとも夕方から寝るまでの時間を消費し尽くしちまったぜ。だから今しばらくは質を問わず、「定期アップロード」を最優先するぜ。「定期」なんて、これまで出来なかったことなんだからちょっとだけ大目に見てくれよな。仲間でしょ?
 今は単純に、いつまで続けられるかなーってほうに、自分の興味を移してるんだ。

裏話になるけど、このビデオのきっかけになったのは、たしか去年8月のある日。近いうちに歩けなくなりそう、という切迫感から、木陰のある遊歩道を毎日せっせと歩いていた時のことだ。「猛暑日」の続いていた時期。

そんなある日、市営野球場のスコアボード裏の誰もいないところで、彼が一人でスケートボードの練習をしているのが、道の反対側から見えた。何度も同じ動作を繰り返して練習するのをしばらく眺めていたが、うす暗くなってきて、彼が帰らないうちにと声をかけた。それがこのビデオ・スケッチになった。

夕暮れまでのほんのちょっとの時間だった。彼の名前も聞かなかったし、わたしも名乗らなかったが、YouTubeに乗せてもいいかとだけ訊いた。それから半年経ってしまったが、彼は今どうしているだろうか。「(当時)仕事はしていない」と言っていたが、その後どうしているだろうか。また会って話がしたい。

ベーコンの憂い

     「新緑」  水彩 F6

ベーコンは塩気と油が多いからなあ・・いや、そっちのベーコンではなく、イギリスの画家、フランシス・ベーコンの方。わたしはフランシス・ベーコンの絵が大・大好きだと公言している(と言って誰かが聞いているわけでもないが)が、その人がこんな絵を描くなんて、とフランシス・ベーコンが見たら「憂い」だろうな、というくらいの、いい加減なタイトルである。

わたしが展覧会に発表してきた絵は、上のような絵とは表現が随分異なる。そして、展覧会場で知り合う多くの人は、会場に陳列されているような絵を、わたしが毎日描いていると想像している(と思う)。実際は、ほとんど多くの時間、わたしはこのような具体的なスケッチに明け暮れている。

スケッチをする暇があるなら、一点でも多く作品を創った方がいい、とアドバイスしてくれた人がいる。スケッチなど無駄だとも言った(ような気がする)。そうかもしれない。わたしのように、発表する作品と普段の制作とのギャップの大きい人は特に。世間のものの見方と、それに合わせた効率を考えれば、その方が合理的選択なのかもしれない。
 「あの人はこういう絵を描く人」「あの人は○○をする人」などと、一つのイメージに固めることができれば分類・記憶の整理が楽だから、多くの人はそんな風に単純化しようとする。画家の方もバカではないから、ひとつのイメージにまとめてもらいやすいように、それに合わせたイメージしか見せないようにする。それがCMの基本的な考え方だ。
 アスリートも、引退宣言して、初めて選手以外の「人間」として見てもらえるようなもの。先日紹介した「わたしを束ねないで」もそういうこと。

けれど、(誰もが知っているように)どんな人ももっと複雑で多様な、時には自分自身ですら気づかない別の面を持っているものだ。フランシス・ベーコン(の絵)も、わたしをこう見ていたかも知れない。
 「お前の見方は表面的で薄っぺらい。それはお前自身がそうだからだ。オレはもっと深いものを見ているのだが、お前はそういう視点を持っていない」。ベーコンの憂いである。