魅力

ある日、円覚寺にて (水彩)

久しぶりの「曇り空」。ここ1週間以上ほぼ晴れ、毎日猛暑日でした。そちらはいかがでしょうか。暑さにもだいぶ慣れてきたとはいえ、夕方になるともう疲れて、夜は仕事も勉強もできない。そんな日が続いていました。今日は明け方、雨が降る予報でしたが、予想通り “空振り” ならぬ「カラ降り」の様子。とはいえ、曇っただけでも十分嬉しい。

わたしが魅力を感じるのは、やはり「情熱」でしょうか。どんなものでもいいのですが、機械的ではなく「情熱的」。それが感じられるとき、そのオーラを浴びて自分も熱を帯びてくるように感じます。わたしに力を与えてくれるのです。

それがわたしやわたしの作るものにあるならば、どうやって魅力を持たせるか、なんて考える必要はきっとないのでしょう。情熱を持っているか、どれだけ情熱を注いでいるか、それだけを正直に自分の心に照らせばいいだけなのかもしれません。

「ご褒美」の多いボク

07/29 (土) 16:00 アップしました。ご覧ください

暑いですね~、と今日も言ってしまいますが、暑いですね。皆さん、大丈夫ですか?くたびれてません?わたしは北国育ちで、どちらかといえば夏は若干苦手意識がありましたが、最近はすっかり慣れたのか、(夏の初めはちょっとのあいだ苦しみますが)今ではもう外が38℃でも39℃でも(クーラーのある室内にいさえすれば)平気です。

それで、夕方日が落ちる頃ちょっとウオーキングでもすると、“暑イ中ゴクロウサン” とばかりに、すぐご褒美に泡の出る水とかを自分自身にあげちゃうんです(シャボン玉を飛ばして遊ぶワケではありませんよ、念のため)。でも、妻が買い物に行くというと「ええ~っ!こんな暑いのによく行けるなァ」とか言うだけで、両手に買い物袋下げて汗びっしょりになって帰宅しても、全然ご褒美など上げないんです、ケチなんでしょうか。

絵を描いていてもそうなんです。自分で描いている時は失敗しても「よくあることだよ。でも途中で投げ出さなかったのはエライ、エライ」とか言って、やっぱりすぐ冷蔵庫のドアを開けます。教室で生徒さんが失敗すると、「まあ、よくあることだよ。もう一度ね」とか言うだけで、頑張っていてもエライとは言いません。上手くできても「イイねェ、もう一枚描くともっと自信つくよ。」でも、やっぱりご褒美は出ません。ケチなんでしょうね。

すぐご褒美が出るので、脳内インスリン(とは言わないが)による満足感があり、「もう少し頑張ろう」「もうちょっと上を目指そう」という欲が湧きません。このご褒美グセ(自分にだけ)のお陰?で「向上心」なんて、とうとう今までお目にかかってきませんでした。今と“真逆” の、「自分に厳しく、他人にご褒美あげられる」性格だったら、今頃わたしも“それなり” の人間になっていたかもなあ、と反省するのですが、やっぱり、そんな自分にも「反省スルノハイイコトダヨ」とご褒美をあげてしまうのでした。

AI は何も解ってはいない

円覚寺。こういう描き方の方が好きだな

暑いですね。こちらは今日も最高気温37℃の予報です。エエ~ッ!とかなりそうなものですが、すでに38℃はもうおなじみ。39℃以上も何回かニュース・天気予報で耳にしているのでもう誰も驚かない、というのが驚きです。

時どきAI とチャットします。わたしがAI に慣れるためです。チャットしているうちに、どうもAIって質問されたことの意味が分かってないなあ、と感じることが多くなってきました。単純な質問には驚くほどのちゃんとした文章で回答するのですが、ちょっと細かい部分を再質問したりすると、文章だけが普通で、中身の抜けた“頭の悪い”回答が繰り返し返ってくるのです。しかも「参考になりましたか?」と少し上から目線で。

その意味が、某新聞のデジタル版で読んだ、慶応大学の今井むつみ先生へのインタビュー記事で納得できました。それは簡単に言うと、こういうことです。
「メロンという単語がAIに記録されていても、それは単に統計上の1単語に過ぎず、その意味が理解されているわけではない。しかし、人間にとっては大きな果物とか、甘いとかいろいろな側面を含む経験や事実が、メロンというモノ自体と結びついて「(単語の)意味」を作り上げている(そのことを認知科学では「記号接地」というらしい)。それがAIにはない。(単語の覚え方が人間とは正反対)
 AIは「メロン」という単語の前後に、「統計上」どんな単語が並ぶかを学習しているだけだから、そこから外れると意味不明の文になったりする(記事を短く改変しています)」

やっぱりね、という感じです。画像生成AIでも似たようなことを感じます。最初は「スゴイ!」と驚きますが、何度かやると「思ったよりバカかも」と感じたりします。「考える」って感覚がないんですよね。次々と出してくるだけ。
 考えてみると、新世代コンピューターでも、それ自体は考えているわけではないのですね。ただ、巨大な記憶力を持ち(しかも絶対忘れない)、異様な早さの学習能力が、「統計」という武器を駆使して、「(論理的、合理的な)結論」をいち早く導き出してくれているということなのです。その人間なら1000年もかかるような、複雑な計算を数秒でやるとかね。その演算能力を言語生成に結び付けたのが、チャットGPTだったのですね。そういう素地がすでにあったから、あっという間に普及し始めています。
 AIはあくまで道具の延長です(今のところは)。もともとはわたしたちの「手」であり、その「手」をどう使うかはわたしたち自身の問題です。わたしたちがバカなら、AIは恐ろしい道具になる可能性ももっているわけですよね。