ビデオ作りの意義?

2023.09.07 17:30 アップしました。ご覧ください

しばらく、テンペラ画の制作に時間をかけていたことや、その他の理由でYouTubeへの投稿が10日ぶりになってしまいました。ふだん、教室でやっていることをビデオにしているだけですが、教室ではどうしても細切れになってしまいがちです。ビデオにすると、教室での内容とつながってくるように感じます。

ビデオを作ることで、自分でもあらためて気づくことが少なくありません。たとえばナレーションをいれるとき、専門的な単語や、こなれていない言い回し、間違ってはいなくても聞き取りにくい言葉などは、言いかえたり、説明を添えたりする必要が出てきます。ふだんの会話だけだと、気づかずに通り過ぎてしまいそうなことです。

映像ももちろん同じです。自分ができることは、つい簡単に感じてしまうので、ビデオでもサラッと流してしまいがちです。視聴者の方がそれを見て真似しようとすると、なぜこうなるの?これは何のためやっているの?という場面がたぶんザクザク出てきます。そんな疑問だらけのビデオでは見てもらえません。必要な手順と内容を、無駄なくきちんと押さえながら、しかもダラダラした繰り返しを避け、飽きないうちに見終える工夫もしなくてはなりません。そういったことを体験し、実際の教室の時に活かしたいと思っています。

たいていビデオ内では1枚の絵を描きますが、説明手順が曖昧な時は2~3枚描いてみることがあります。そうすると、ポイントが解ってきて説明しやすくなります。ただ、視聴者は絵を描いている人とは限りません。むしろ描いている人の方が少ない、と考えて作らなければならないようなのです。
 説明不足もいけませんが、説明しすぎるのも良くないのです。一番いいのは、「自分もやってみたい」と思えるような「楽しい動画」です。描くのが楽しければ、絵など勝手に上達していくものですから。でもそれが難しい。現状ではビデオ作るだけで必死、楽しい要素を盛り込む余裕などまったくなし。もともと融通の利かない頭の固さが原因であるにしても、もうちょっとなんとかならないものか・・と毎回思うばかりです。

お元気ですか?

「Appleーたそがれ」テンペラ、F100 仕上げ中

9月に入り、長期予報を見ると今週はちょっと雨模様。最高気温はちょっと低くなりますが、依然として熱帯夜に近い夜の気温が続きます。夏の疲れが出て、それに雨の湿気が重なって食中毒が多くなるのはこれから。皆さん、注意しましょう。

ときどき進行中の写真を載せてきたこの作品もいよいよ仕上げです。「夏休みの宿題」という感覚で描いていました。描くことは楽しいけれど、締め切り(8月末)がちょっと苦しい。子どもの頃の夏休みの絵も、そんな感じでした。締め切りがないと、なかなか仕上がらないものですよね。

とりあえず、「危険な暑さ」から「厳しい残暑」に軟化?しそうですから、元気に皆さんとお会いできることを楽しみにしているところです。

神経美学

「神経美学」という言葉、そういう研究分野があることを初めて知りました。芸術に対する感動が人間の身体に対する影響を研究する分野で、最近注目の学問なのだそうです。そういった分野の、心理学的な研究くらいはあるだろうとは予測していましたが、それが急速に発展しているとまではまったく想像していませんでした。

生成AIによる画像生成、文章生成機能の急速な発展とその応用がどんどん社会に浸透し始めるや、それまで冷ややかに遠巻きに眺めていた政府や財界、人文系分野の研究機関でさえ、今度は乗り遅れるなとばかりに、一斉に使い始めています。新しいパソコン、モバイル端末などには最初からセットされているようですし、既存のパソコンにもどんどんサービスされ始めています。そのスピード感に振り回され、ついていけない挫折感を持つ人々との溝も大きく裂け始めているように感じます。

とにかくそんな情報ばかり溢れていて、それに比べて芸術などはせいぜい生成AIによる著作権侵害を申し立てるだけ、と悲観していましたので、こうした研究は嬉しいことです。芸術に携わる人々の誰もが、芸術を愛する心が平和を求める力になることを知ってはいましたが、それらの人々の多くは政治とは距離を置くべきだと考え、結果として戦争を止める力は持ちえませんでした。 
 神経美学は、そういった主張、主義とは別に、人間の健康そのものに対する影響を研究するのですから、イデオロギーとか敵味方などにとらわれず、受け入れることができます。

もっとも、戦場で銃を撃ちあうこと、ミサイルに備えて日夜防空壕に避難する生活が身体にとって最悪であることが解っていてさえ、現実に数百万、数千万人の人々がそういう生活を強いられていることをみれば、なにをかいわんや、ですが。それでも、世界はAIだけで足りるわけではない、芸術がもっと社会的な力を持てば、平和の力になり得る(かもしれない)。そう思うだけでも、絵を描く筆に力が入るような気がします。