グリザイユを応用する

「秋(グリザイユの習作)」  水彩

逆光の人物をグリザイユで描いてみる。グリザイユというのは、油絵の古典技法のひとつで、まず白黒で立体感まで描いてしまい、それから透明な絵の具を、それまでの陰影の上に重ねていく描き方。基本的には油彩の性質を生かした技法なので、それを水彩に応用しようとしても、原理的に無理なところがある。(グリザイユについては当ブログ8月15日、22日をご覧ください)

水彩でのグリザイユ(と言っていいかどうか悩むが)では、失敗しにくい描き方だと言える反面、途中で変更することが、ふつうの描き方の時より難しい。それに、最初にグレーで描き始めるため、水彩独特の軽く、変幻自在な色の世界を失うという、原理的なハンディを出発点にする技法になる。紙も一般的な安価な紙は使いにくい。

でも、それらは技法上の問題であって、絵画としての問題ではない。絵画では材用や技法のことなどどうでもよく、見る側あるいは描く側にどんな心象を与えるかだけが問われる。

絵画は「見るもの」だが、わたしたちはいつのまにか絵画を「読む」ようになってきた。予備知識があれば、「より深く絵画が分かる」ような気がするからだろう。
 何が描いてあるか歴史上の意味や、技法上のことを知らなくても、「この色がきれい」「この線の迷いのなさがすごい」などという、見方というより感じ方を、もっと大切にした方がいいと思う。リンゴを皮のままかぶりつくとき、皮を突き破る自分の歯や滴る果汁を感じる瞬間を失いたくない、と思うから。

1984

「那須山麓」 アクリル

「1984」という有名な小説がある。1949年に出版された英国の作家ジョージ・オーウェルが1984年という近未来を空想して描いたもので、あらゆるところにカメラやマイクが仕掛けられ、人々を監視する社会がSF的に表現されている。

出版されたときから考えればたかだか35年という近未来。その時点ではさすがにオーウェルの空想したようにはならなかったが、21世紀のいま、それは現実のものとなっている。

すでにシンプルなカメラやマイクを越えた、AIがそれだ。いま巷で話題になっているAIエージェントとか、AIをどう利用するか、どうつきあうか、という幼稚なレベルの話ではなく、人類がAIをコントロールできなくなり、滅亡の可能性がある、という話である。「1984」をさらに絶望的にしているのが、それが「近未来」ではなく、「今」だということ。

超知能AI(スーパーインテリジェンス)と言われる、すべての人間の知能を越えたAIをどこのどんな企業が先に作るかの競争が、すでに「終盤」に差し掛かっているという。確かにAIは一方では人類の平和や健康・医療などにも大きな力にもなる。けれど、一方で、あらゆる人間知を越えたAIがどういうものかは、まだ誰も知らないのある。それが人類をあえて攻撃するとか言うのでなくても、結果的にそうなることはあり得るというのである。だから、生み出してしまう前に、それがどういうものになるのか、それをどういうものにすべきななのかを、いったん開発競争をスローダウンして、世界規模で考えてみようという提言がなされている。エンジニアたちは悲観的だ。「自分がやらなくても誰かがやる」「何が出てくるかは知らないが、とにかく最初に作る」「どういうものにしたいかはできてから考える」というマインドが支配的だという。人間の愚かさの結果が、もう見えるところへきているらしい。

アップロードしました。見てね!

いつも通り、一週間遅れでアップロードできました。毎回苦心してるけど、今回は体力的にも相当消耗した感じ。編集初めてから10日ほど経ち、そろそろまとまってきそうなタイミングで、構成をほぼ半分やり直したから。

YouTube上のろいろなコンテンツを真似して、勝手に「保存版」とつけてみた。まず思い浮かんだのは、こんなに苦労したことをちゃんと覚えておこう、という個人的記憶用の「保存版」。あとは、同じテーマでは、これ以上作れないかも知れない、という意味での、これもかなり個人寄りの「保存版」。見る人にとって「保存すべき」であって欲しい、と願うばかり。

ビデオの中でも何度も「難しい」とこぼしている。その一方で、チャレンジなどとほざいて。なんちゅうやっちゃ。そんなら初めからよさんかい。

これもいつものことだけど、今回もテーマから外れたところが楽しかった。だから絵を描くのだけど、単純な、人物の服のストライプ模様を描いている時がそれ。全体25分という、わたしの中では最長のビデオだけど、その中で約4分間、黙々とストライプを引いている。一応先へどうぞと断ってはいるが、通常は長すぎる間だ。でも、これより短くしたら、わたし自身が、このビデオを見る気を失ってしまいそうだから、やむを得ない。この甘っちょろさがワタシである。