「動画」というやつ

ワインを注ぐ

「動画」というやつは「動く」。あたりまえだ。絵を描く動画など作り、その編集に四苦八苦したりしてきたが、基本的に動いている奴を動いているままに見せる、チーターがガゼルを捉える動画のようなのがその典型なんだと、シンプルに思えてきた。

現在の動画(映画も)でも、少しずつ位置やかたちの異なった、基本的には1枚の写真を連続することで成り立っている。上のパラパラ漫画(形式上GIF動画というらしい)もそう。1秒間に何枚の写真または絵を見せるかで、画像の動きの滑らかさが決まり、だいたい30枚、60枚(60コマ)あたりがよく使われる。この動画では1秒15コマに設定し、15枚の漫画を描いたから1秒で終わる。グラス15枚、その色で15枚、ワインの瓶で15枚、ワインの流れで15枚の、全体で60枚の絵を描くことで、この1秒の動画ができているわけです。もちろん、同じシーンなら複製のコマを作って並べます。

パラパラ漫画を作ろうとすると、描く人に相当の負担がかかる。アニメも基本的にパラパラ漫画だから、ものすごい数の原画が必要で、だから、できるだけ手分けしても、原画を描く人(アニメーター)が大勢いないと大変だってことになる。いわゆる「業界」はそうなっているらしい。

わたしの場合、変なところでつまづく。例えばパラパラ漫画の作り方をもう忘れていたり(ひどすぎる…)。描いたら描いたで、保存の仕方、このブログにアップする方法が思いつかないとか…。そんなこんなで半日費やす。あちゃ~。たまにやらないと忘れちゃう、とか考えるより、いっそ永久に思い出さない方が、充実した一日が過ごせそうな気もするんです。

「透明感」の表現

試作とバリエーション(制作中)
 上:ワトソン紙に水彩
グラスのりんご  キャンソン紙に水彩

先日、水彩教室で「水の透明感」というテーマをやってみた。そしたら、今度は「ガラスの透明感」をやってみたいというリクエスト。当然ですよね。

「透明」感とは、ごく単純に言えば「向こうが透けて見える」ことだと、わたしたちの経験は教えてくれている。水の底の石や藻や魚が見えるから、その水は透明なんだな、と感じてきたのです。そしてそこに、ほんのちょっとの物理学でいう「屈折」や、「フィルター」としての水の色が被るとさらに信憑性が増すことも、もう知識化されてしまっている。それはビニール袋やプラスチックのパックでも同じ。

17世紀、18世紀のヨーロッパの油彩画には、ガラスの器に果物を入れた絵がたくさん描かれている。それが当たり前になってしまった現代から見ると、つい見過ごしてしまいがちだが、ガラスがやっと世の中に普及し始めた頃の「ガラスの透明感」の描写力は、ルネサンスにおける「透視図法」に匹敵する、「画家の力量チェックポイント」だったのです。油彩画よりは水彩の方が、水彩よりパステル画の方がさらに透明感の表現は難易度が増します。仮に色鉛筆で透明感を表現しようとすると、結構難しく感じるでしょう。だからこそ積極的に「ガラスの…」が描かれたのでしょう、自分のテクニックをアピールするために。

上の絵はアピール用ではありません、念のため。このキャンソン紙の素材はGrain たぶん小麦の殻。それもあってか、すこし滲みの大きい、古風な味わいの出る紙。ガラスの硬質な感じにはちょっと合わなかったかな、と感じました。