至福の粒つぶ

パソコン内の写真を検索しているうち、こんな写真を見つけた。「ウニの歯」の鋭さ、巨大さのことをブログに載せた時のものだ。データには2018年7月15日とある。下北半島から弟が送ってくれた4kgの活ウニをアトリエで剝いている。下着のシャツを裏返しに着ているのが笑ってしまう。

「いい時間だなあ」と思う。高価なウニを立派なお店で食べるのではなく、自分で剥いて、食べたいだけ食べる。なんという贅沢な夕餉になったことだろう。でも、そういうモノのことではなく、たぶんそれらすべてが繋がって自分が解放された時間だったから。

「一瞬を大切にしよう」と、最近つよく思うようになった。「時間は一瞬一瞬の積み重ね」ではなく、むしろ逆に「一瞬にこそ、時間は濃縮されている」のではないかとも。そして、もしかするとそんな一瞬たちが「幸福」の粒つぶなのではないかなどと。

でも、どうやったらその一瞬、一瞬に立ち会えるのだろう。至福のひとときが、誰にでも偶然に、頻繁に訪れるなどと思うのは難しい。そのうえその瞬間にあるとき、なぜか気づかずに過ぎ去ってしまう。もっと敏感にならなくちゃ、と思う。

はだか

わたしははだかが好きだ。「ヌード」という意味でも、ストリップ(何も身につけない)という意味でもない。赤ん坊のような「はだか」。その意味でなら、「はだか」を「裸」と漢字で書いてもいいし、その発音も好きだ。

でも、そうでない意味で使われる「裸」は嫌いである。

はだかになるのは難しい。人前でストリップになるのも難しいが、赤ん坊のようなはだかになるのは、もう一生できないことなのかもしれない。どんな赤ん坊も、はだかが一番よく似合う。あのようになりたい、いや、あのようになりたいと思う心を大切にしたい、と思う。

すべすべが良いわけではない。つるつるも不要だ。そんなものより、むしろ鋭いトゲトゲのある方が美しい。刺されたことにさえ気づかないほど繊細な棘、敏感でときに痛々しいトゲもいい。少し鈍く、擦り減ったようなとげも好もしい。窓辺のサボテンたちを見ていると飽きない。

チョコボールのなかみ

「チョコボールのなかみ」を描く

2022年最初の動画アップです。森永の「チョコボールのなかみ」つまりピーナッツが入っている(と思う。まだ未開封なので)。11月頃だったか、教室のモチーフ候補として買われ、ずっと補欠の身分のままわたしの目の前にいる。

難しい光沢反射のないマットな表面、比較的シンプルな色彩で、文字数が少なめなのも描きやすそうに見えた。ただ、この青が意外に手ごわいかもと躊躇しているうちに、教室ではもっと高度な課題をクリアしてしまった。といっても、コイツの出番が無くなったとは限らない。何が難しいかは人によって異なるし、描き方によっても違ってくるからだ。

なぜこんなモチーフを選ぶかという理由はもう繰り返さないが、単純に練習用と考えれば実にお手軽。安いだけでなく、描き終わってご褒美に食べてしまえば置き所に困ることもない。そのくせ、描き方によっては馬鹿にできない高度なテクニックを磨くこともできる。壺とかバイオリンなど、描いているとき以外はただの邪魔者として生活空間を圧迫する。溜まってくると堪らない。

二日連続で午前3時まで制作。若干目がしょぼしょぼ気味。2時を過ぎるとちょっと疲れを感じてくるのは年のせいか。もう少し、もう少しと思うとつい時間を忘れてしまう。それが健康のバロメーターになっているのかも知れない。