日なたの方を見る

以前にも全く同じタイトルの記事を書いた記憶があるが、あえてチェックしない。仮に内容も似たり寄ったりだとしても、それを再び書く意味があると感じたから書くのだろうから。―Look sunny side (ルック・サニーサイド)って、いい言葉だなと思う。

「物事には表と裏がある」というと「真実っぽい」が、真実かどうかなど広く、細かく、深く、ゆっくり見ないと本当はわからない。そのうえ「真実」という定義そのものもおそらくはなく、一筋縄ではくくれない不分明な広がりを持っている。―「表と裏はくっついている」という慎重なものの見方はたぶん、人間がこの複雑な社会生活を営む上でのひとつのテクニックとしても、欠かせないものなのだろう。

「日なたの方を見る」。人を見るならその人の長所を。自分を見るなら得意なところを。制度や仕組みを見るなら、まだ足りないところだけを見るより、達成された部分を(ちょっと大きめに?)見る。―一見すると体制側、行政側の好むように見るという、迎合的姿勢ともとられかねないが、必ずしもそういう政治的視点に留まらない、人間(心理)的な視線という温度感がそこにはあるような気がする。「絵」でいうならば、欠点をあげつらい、仮に欠点をゼロにできたとしても、その絵の魅力が倍増するわけではない。そんな小さな欠点には目をつぶってでも、その人固有の「良いもの」を伸ばすことが、本人だけでなくもっと広がりのある大きな価値を生み出せると、日々感じているという意味だ。

「日なたの方を見る」は、伝統的・保守的な見方かもしれない。「物事を(自分に)都合よく解釈する」、という批判も免れ得ない。それでも、「あなたのやっていることには意味があります」というメッセージは明るく、前向きで、何より「生き物はそう(希望的に?)生きてきた」に違いないと思っているんです。わたしは生命科学者ではありませんが。

木も見て森も見る

3月7日22時30分アップロードしました

「木を見て森を見ず」という格言がある。瑣末なところにばかり注意を払わず、全体を見通す目を失わないようにしなさい、というほどの意味だが、意味は分かっても具体的にそれが木であるどころか、葉なのか枝なのか、はたまた一粒の花粉なのかさえ分からなくなるのが、たとえばパソコンで作業をしているとき。

パソコン上で一枚の写真を拡大、修整し、色を微妙に変える、その作業の中にもさらに細かな作業がある。文字を入れるにもどんなフォント(文字のデザイン)を使うか、文字と文字の間隔や行の空きをどうするか、文字に境界線を入れるか入れないか、文字の色をどうするかなど、ここにもさらに細かい作業がある。瑣末?な作業がどんどん増えていく。

 そのような枝から葉、葉から葉脈と分かれていく流れのなかで、翻って逆方向の木全体の方を向き、さらにその木の向こう、向こうへと続く森を見るというのは、かなり難しい。一方向でさえ自分の位置を見失いそうになるほど何層にも重なり、横にもいろんなアプリが並列する構造。しかもそれはまだ、解りやすい「作業」の例に限っての話。
「物事は上流から見よ」とも言われてきた。まさに樹形図のように森から木、木から枝葉へと見ていきなさい、ということだと解釈してきたが、学校教育はほぼ葉っぱから森を見る、それとは間逆の方向だろうと思う。

 いつ、どの時点で視点を逆転させる教育が行われるのだろうか。今の日本で言えば、大学の卒業研究または大学院レベルで、やっとそういう見方を訓練するのではないだろうか。それ以外はすべて「個人の勉強」に委ねられてきたような気がする。それも受験勉強ではなく、一つのものごとに対する深い興味と、時間に縛られない自由な勉強といい仲間のいる環境があれば。「木も見て森も見る」ために必要な環境は、ますます遠くに離れていくように感じる日々。

アネモネ wind-flower

アネモネ(水彩)

春らしい色合いのものが何かないかと花を探しに行ったが、チューリップくらいしか目ぼしいものがなかった。フリージアは大好きな花だが貧弱なのしかなく、ガーベラもまだ早い。そうしたなかで、アネモネとラナンキュラスが一場を飾っていた。

アネモネもわたしの好きな花であるが、葉っぱが少し面倒だ。コスモスも葉が描きにくい。ラナンキュラスなどは花も葉も見るにはいいが、複雑すぎて描くのには躊躇する。青系統の花が特に好きだが、青紫の大輪のアネモネがあったが、ちょっとかたちが単純すぎる。ベージュ色のエレガントなのにも惹かれたが、モチーフ的にはこれかなと求めてみた。白い花の中心には深い青紫。

アネモネの語源の「アネ」は「風」という意味らしい。春風が吹けば咲く花、ということなのだろう。ちなみに「アネ」は「風=息」という繋がりから、息をするもの=命=生き物となり、動物アニマルの語源でもあるそうだ。動くもの=アニメーションもそこから来ていると何かの本に書いてあった。
 制作を動画にするために撮影の準備を始めた。専用スタジオがないので、まず片付けから始めなければならない。カメラと、とりあえずあるだけの照明器具をセットして、いざ撮影開始―なんと、花が閉じてきた!

まだ、新鮮な花なのだろう。夕方になり、ちゃんと眠りに入ろうとしているのだ。さすが「アネ」ではあるが、描く方としては開いていてもらいたい。けれど、「命」を尊重して、開いたのは開いたときということで、今回は眠りの様子を描くことになった。