サムライ・ジャパンの選択

かもめ(習作)

日本-ポーランド戦、1-2の日本の負けだが、勝ってもポーランドは一次リーグ敗退決定済み、破れた日本は負け方次第で決勝トーナメント進出という、特に後半はそうした戦略が前面に出た試合となった。このような展開はあらかじめ想定されてはいたが、それでも最後の10分間に関しては、サッカーファンの心理を2分したに違いない。

スポーツマンシップを第一とする世界中のマスコミからは「もうサムライとは呼べない」「最も見たくない試合」などと酷評。一方、結果を重視するファンからは「これも戦略だから当然」「他のチームも主力を休ませている」などの擁護論。どちらか一方だけが正しいと簡単には言えないが、チームは監督のものだという感を深くした。

もしこれで、次のベルギー戦で素晴らしい勝利を収めたならば、西野監督の決断は「最良」のものとなり、この試合の胸くそ悪さはファンの心から消え去るだろう。要するに「結果論」、と女子Wcupで優勝したなでしこメンバーの一人は語っている。

なでしこも準々決勝で似たような試合をし、それが優勝につながり、あの日本中のフィーバーになった。けれど「結果が全て」ということは、「フェアプレー精神」は不要だということになりかねない。勝ちさえすればいい、というのはサムライ精神に反する、と思う。けれど一方で、無意味な「玉砕戦法」もまた、見たくはない。

変なクセ

「森の男または萬鐵五郎礼賛」 (習作)

変なクセに気がついた。メガネのフレームの、耳にかける部分を噛むクセ。右耳の、メガネをかける部分が痛いと感じていた。歳をとって皺が寄り、それが引きつれて痛いのだと思い込み、メガネをよく点検していなかった。

耳にかける部分がギザギザになっている。これじゃあ確かに痛い筈だが、どして?電車内で本を読んだり、スマホでニュースを見ている時はメガネを外す。胸ポケットがない時、メガネを歯で噛んでぶら下げながら読んでいる、それかと思い当たった。

「ワールドカップ」で、GK川島選手の「悪いクセ」のことを書いた。これは私の(最近の)悪いクセになっていた。自分のクセは気づきにくい。

良いクセもある。サッカーついでだと、試合終了後のサポーターのゴミ拾い(これは義務感?)が、日本人の、「習慣」として各国の話題になっている(クセと習慣の区別など、ここでは論外にしてくれ!)。良いクセを子どもたちにつけさせようと、学校の先生たちは様々に戦術を凝らす。しかし、それはどうも「上手な抜け道を探すクセ」の前に、完敗しているようである。

毎日いっぱいいっぱい

毎日がいっぱいいっぱいで、全然余裕が無い。お金はもちろん時間も体力も。ちょっと何かでつまづくと、どうなっちゃうんだろう、と毎日頭の片隅で考えながら、ともかく目先の用事を片付けている。文字通り、そのまんまの「貧乏暇なし」。これではイカン。

20代、お金は無いが時間と体力はあった。30代、お金は無いが体力はある。時間は少し減った。40〜50代、お金は少し使えるようになったが、体力が減り、時間が無くなった。60代、60まで生きているとは思っていなかったが、ずるずると生きてきてしまった。お金は右から左へ、細く、一瞬も留まらない急流のように流れ、体力は枯れかけた川のようにしょぼつき、あちこちで小さな水溜り。時間はマイナスに突入、時間の借金が始まった。この借金を棒引きにするのは、サヨナラの時。けれど、この流れはどうやら私だけでもなさそうだ。

何をやってきたかといえば、出来損ないの大きな絵を何枚か描き、小さな絵を誰かに飾って貰った(ている)ことくらい。これは仕事によりケースバイケースだが、すべて自分だけの責任でやってきたことが面白かった(過去形…)かな。その結果が、現在の自転車操業。

とはいえ、もしもまだ自転車に乗っているなら、行く先はもう少し先にできる。途中でふらついて倒れるなら、そこが行き先だ。ただ、途中の風景を楽しむ暇がないのでは、そもそも自転車で行く意味があるのか、そこはよく考えなくちゃいけないな。