音楽

過日、某小学校の前を通りかかった。

たまたま光線の具合が良かったのか、校舎がとても美しく見えたので自転車を停め、外からスマホで写真撮り。すると突然、「天使の歌声」??構内の目隠し的に植えられた木の向こうで、小学生が10人ほど。先生の指導で、ちょうどコーラスの練習を始めたところらしかった。

帰り道、せっせと自転車を漕いでいると、不意に、今度は太鼓、ブラス(金管楽器)の音が右から。「そら耳か?」と思っていると、鼓笛隊の練習風景が目に入った。

特訓だろうか、女の子10人ばかり。全体指揮者の女の子は少し離れたところで、音を背中に聴きながら指揮棒(鼓笛隊隊長用の)を振る練習。体育着のままの3、4人のブラスと太鼓の指揮は、隊長とは別の女の子が台の上から指揮している。初めてのブラスは大変だろう。でも、きっといい経験だ、と思う。

ブラック・アウト

台風21号が、近畿、特に大阪で大きな災害を引き起こしながら北海道の西側を通過した。その直後の今朝3:08分、苫小牧に近いところで起きた震度7の大地震。「北海道胆振地震」と名付けられたそれは、地震そのもののエネルギーに比して、格段に大きな災害になりつつある。

北海道のほぼ全域、295万戸が一斉に停電するという、ブラック・アウト、未曽有の出来事。交通網のダウン。日本のインフラのシステムが巨大災害に対していかに脆弱であるかが、再び露呈した。この影響は東電福島原発事故のように、おそらくあとあとまでその影を引きずることになるだろう。大量のデータの喪失、機会の逸失などがその最たるものとなるに違いない。当面の経済的、物理的損失ももちろん莫大なものだ。

けれど、関東では何となく気持ちが薄い。報道は大きいものの、直接の死者数などが少なく見えるからかも知れない。台風21号による関西空港、近畿大阪のニュースがまだ続いている中、九州の地震、瀬戸内、北陸の風水害の復旧半ばの中で、どことなく災害に慣れっこになってしまった感じだ。けれど、北海道全体というのは、それとはまたスケールの異なる、決して慣れてはならない、恐ろしい災害だ。仮に関東全域が停電するという事態を想像してみると、それが半日も続いたら、世界の中での経済的ダメージの大きさは計り知れない。悪くすると四半世紀は遅れることになる。

せめて前向きに捉えるとするならば、首都直下地震への、リアルなシュミレーションであり、南海トラフ地震への備えを国民的規模で喚起することになる、ということか。「いずれ、必ず起きる」とされる、これらの地震災害への備え。けれど、一方で日本の政治・行政機構において何度も繰り返される、歴史的教訓の無視。「災害は常に盲点を突く」。今度の教訓を無視した時、日本は終わる、と考えている。

「日本の歴史」もそろそろラストページ

「飛ぶ男」(制作中)

8/16、雨。気温18° Tシャツ1枚では寒い。昨日から断続的に、時折大きな音を立てて降り続く。お墓も掃除し、実家の仏壇の扉を閉めた。お盆は終わり。あとは絵を描くだけだ。

終戦特集のTVで、いくつかの番組を見た。NHKの「ノモンハン事変」、戦争孤児にスポットを当てた「駅の子」。記事では戦争トラウマを扱ったものを読んだ。

常に繰り返されるのは「無責任」「不誠実」そして「現実より、幹部間の個人的人間関係優先」あるいは「組織優先のフリをした、卑しい利益主義」。「日本という国」の「意思決定」の曖昧さ、いい加減さだ。今もどこか変わっただろうか?

一言でその理由をいえば、教育の欠如だ。「日本の教育水準高いのでは?」と自画自賛的に思っている人は少なくない。確かに識字率などは高い(もっと低い所と比べてるだけだが)。けれど、論理的に考え、説明でき、行動できる能力は、驚くほど低い。大学の先生クラスでも論理がメチャクチャな人は幾らでもいる。大学の先生は、単なる専門家ではダメなのだということが、当の先生自体解らない。そういう連中に教わってくるのだから、大臣、国会議員もあの程度だし、そういう連中を選ぶ国民になるわけだ。頭のいい連中が、国民を「愚民化」してきたという説もあるが、論理的に考えれば、馬鹿げた説だということは簡単に理解できるはず。

「次の戦争」が起これば、「そのあとの日本」は平和になるだろう。日本という国は、「過去」としてしか存在しなくなるからだ。愚かな国は無くなることこそふさわしい。