芸は身を助く : 馬が描く絵

「Doll」 watercolor

「馬が絵を描き、それで自分の身ばかりか、他の馬も助けている」という記事を読んだ。数年前にアメリカで話題になったニュースらしいが、それをイギリスの記者があらためて書いたものだった。

馬の名前は「メトロ」。もとは競走馬で、その地方では8勝もした、かなり知れた馬だったらしいが、膝に故障を抱え運命が尽きかかっていた。そこへたまたま奥さんの乗馬用にと、安い馬を探していた画家と巡りあった。

メトロの、口であれこれ咥える癖を見て、こいつに筆を持たせたら面白いかも、という発想が画家的だ。メトロもなぜか、「草を食うより絵を描く方が好き」らしく、やがてたまってきた絵を画家が地元のセールに出した。すると、あっという間に4点も売れた。ちなみに、ショーで像が花の絵を描いてみせるようなものとは、レベルが違う。なにせアシスタントはプロの画家である。

地元バーモントで話題になり、それを大新聞が取り上げたことで、一気に全米の話題になった。注文が相次ぎ、その収入で新しい治療法を試すこともでき、膝の故障も克服。さらに、同じような運命を辿る他の馬も助けられるようになったという、馬版アメリカンドリーム。今も沢山の人が彼・メトロ氏の作品の待機リストに並んでいるそうな。

ちなみに、当の画家はメトロ氏のアシスタントとセールに忙しく、画家は休業中だとのこと(記事は2014時点でのこと)。

不または非・「晴明」

「Doll」     watercolor

なんだかイラついている。何かハッキリした不満というより、あらゆることに清々しい明朗さがない、という感じ。今頃の天候などをさす俳句の季語に「晴明」というのがある。晴れやかさと爽やかさが混じったような気分・天候のことだが、どうもそれとは逆とまでは言わないが、「不または非・晴明」という気分なのである。

「感謝」という言葉が、急激に嫌な言葉になってきた。冬季オリンピック、パラリンピックが先頃行われた。昨日から春の選抜高校野球も始まった。ここでも「感謝」「感謝」の嵐。この言葉を口にしないとすかさずどこからかクレームがつく。曰く「あなたの今日あるのはあなた自身だけの力ではない。周囲の力添えがあってのこと。その感謝の気持を持たない人は大人ではない」。

だから、実際に大人ではない小学生、はては幼稚園児まで「皆さんのお陰でーちゅ」と「練習」させられる。そのようなクレームからの過剰回避である。

ごく普通のことをしたのに、「思いがけなく」ありがとうと言われるときの「晴明さ」と、それは似て非なるものだ。「感謝」の言葉は求めるものではなく、自発的なものであるはずだ。それが単なる「形式」になり、形式でよいとするそのような神経のあり様が、どうやらイライラの中身のような気がしてきた。

日本製

(木製パネル)取扱い上の注意:天然素材を使用しておりますので、反りや曲がりを生じる場合があります アクの出にくい素材を使用しておりますが、アクにより変色する場合があります 品質には万全を期しておりますが、稀に表面材が剥がれる場合があります 一部の裏面に使用しているステープルは、錆びる場合があります(以上全文)

水張り用パネルの裏側に書いてある「注意事項」。これは注意事項ではないでしょう?ただ、先回りして責任を回避しようとしているだけですね。反ったり、曲がったり、変色したり、中に使っている金属が腐食するけど「我慢してね、文句言わないでね」という意味ですね。「どこに「万全を期して」いるのか、さっぱり分かりません。水張り用のパネルを作るならどんなことに注意すべきか、メーカー側に教えてあげる必要がありそうです。