サッカー、アメリカ女子チームのワールドカップ優勝

サッカー女子ワールドカップでアメリカチームが優勝した。ほぼ事前の予想通りだったらしい。

優勝という結果も素晴らしいが、私がさらに感動したのは、トランプ大統領からの「ホワイトハウス招待」を断るという「自分の意思を貫く強さ」である。大統領のこれまでの差別的発言などに対する意思表示だという。まさに女子チームが示したこの意思こそ、アメリカの優勝に本物の華を添えるものだと、私は思ったのだ。

仮に日本チームが優勝したとすると、総理大臣からの首相官邸への招待を断れるだろうか。おそらく選手たちの個人的意思より、協会や協賛してくれる企業、団体、個人への配慮、マスコミからのバッシングに対する怖れが優先され、選手個人の言論は引っ込められるだろうと私は想像する。私がチームの一員なら、たぶん私もそれに倣ってしまうだろうと思う。

官僚も、学者も、マスコミも社会も、みな権力に迎合、忖度に余念のない日本。勝っても負けても、感謝の言葉をなかば強制的に言わされる日本で、スポーツ選手が権力に(政治的な)意思表示できる空間はほとんどない。アメリカ女子チームの今回の表現は、人間として当たり前のことがスポーツの世界でも当たり前だという、ごく自然なことがアメリカにはあって、日本にはまだないという世界観と、試合結果との二重の意味で輝かしい優勝だと思った。

母の死

母が亡くなった。5月30日23:57分、ほぼ真夜中だ。私一人が病院に泊まり込み、ぜいぜいと激し息遣いの母に付き添っていた(はずだった)。

けれど、私はただ木偶の坊のように、傍らに居たというだけで、付添いの役目を果たせていなかった。ナースセンターでモニタリングしているという思い込みで、目の前にあるモニターのボタンを押して確認しようという考えがなぜか浮かばなかった。苦しそうだからと、看護士さんと頭や首の位置を変えたりしても、モニターを自分で見るという考えが浮かばなかった。やり方を知らなかったわけではない。ただボタンを押せばいい。現に心停止、呼吸停止になったと言われて、初めてそれを思い出しボタンを押し、「判定不能」の文字を見たのだった。

結局、最後が近くなってきたら弟と妹を呼び、死に目に合わせるという役目を果たせなかった。細かく看護士さんに処置をしてもらい、彼らがくる朝まで無事で居させる、という役目を果たせなかった。何のために病院に泊まり込んでいるのか、という自覚が足りない、一言で言えば馬鹿だとしか言いようがない。

栃ノ心

どうでもいいが、大相撲。関脇「栃ノ心」が今日(5/25)、横綱鶴竜に勝って10勝目、大関にカムバックできた。栃ノ心は私の好きな力士だが全然嬉しくない。立ち合い、変化しての「はたき込み」じゃ、彼だけではなく、ファンのプライドが泣く。栃ノ心「勝ててよかった」。そうなのか、明日からはもう栃ノ心を応援しない。