8月15日は「敗戦記念日」。

「アスレチック・フィールド」2020 テンペラ F10

「敗戦記念日」と書けば、必ずクレームがあるらしい。それだけで「反日」というレッテルが貼られたりする昨今だ。「負け」という語にはそれだけのインパクトがある。日本人は(多分他の国も大同小異だと思うが)「負けず嫌い」という言葉が好きだ。

「ハルウララ」という競走馬をご存知だろうか?主に高知競馬場を舞台にしたが、戦績は113連敗(0勝)。生涯獲得賞金は112万9000円。一勝もできなかったが、連敗ゆえに、ある種のブームを巻き起こし、2016年にはアメリカ映画にもなったそうだ。連敗し続けてもなお、毎回必死に走る姿が「負けず嫌い」の心をくすぐったのだろう。

敗者になることによって、初めてその人の人格や思想が現れると、私は考えている。その意味で、人は誰でも負ける経験が必要だ。負けることを知らない人間を、私は信用することはできない。「負ける」ことで、初めて本当の「知恵」が人に現れるとも思う。立派な負け方、美しい負け方というものはある。単純な例が高校野球。勝者以上に「輝かしい」敗者の例は枚挙にいとまがない。

それに単純に比較することはできないが、先の対戦での日本の負け方はぶざまであった。それは物量以前に思想が貧しかったからだし、そのことを戦後の現在も理解しようとしないことがその、そのぶざまをさらに拡大し続けている。敗戦を「敗戦」とすることで、その全体像を記録し、きちんと正面から向き合わない限り、人間らしい、「意味のある負け方」を獲得することはいつまでもできないと思う。「負けず嫌い」も、その上にたってこそ、美しいのである。

「新しい日常」ってなに?

*以下は6月の非公開ブログから。7月31日の今日から振り返って見るのも意味があると考えた。

「コロナがなんとなく収まりかけている」ようにも見えてきた、6月。ネット空間で「新しい日常」「新しい生活様式」という言葉が、チラチラと視野をかすめるようになってきた。

「電通」経由の、政府・行政イベント、宣伝が公然と行われている。安倍氏曰く「それぞれの業界には、それぞれ得意な企業がある」。それが企業の存在理由ですから当然です。でも、たくさんある会社の中で、「この会社は特に優れている」と言って選ぶなら、少なくとも税金を使う以上、その他の会社より「優れた点」を言ってくれなくてはいけないでしょうね。マスコミはなぜ、その「特に優れた点が何なのか」総理に質問してくれないんでしょうか。おそらく、「業界的に」「解ってまーす」ってことなんでしょう。こういうのを「知的」というんでしょうね、業界では。では、国民は「非」知的って認識なんでしょうか。

どうやら「新しい生活様式」というのは「with コロナ」という意味らしい。このキャッチコピーの「古めかしさ」はさすがだ。「美し国、日本」よりは少し新し目だし、あえて国策広告制作会社の「足元を見た提案」とは言わないが。しかも、意味不明という点でも、太平洋戦争中の「一億玉砕」キャンペーンと酷似している。一億玉砕して何をどうやって守れるのか、玉砕した後のことが一切示されないという馬鹿馬鹿しさに、なぜ「一億」がついて行ったのか。一世代前の若者に、新しいスタイルを与えた「レナウン」の「シンプルライフ」が、先頃倒産したばかり。レナウンの「Simple life」と、政府の「New life style」のどっちが新しいか、国民のセンスを試しているわけだね?

要するに、①もう休業手当てはしません。そんな金、もう税金には残っていませんが、それでも欲しいというなら、あなた方の子孫から借金しますよ(という脅し)  ②コロナにかかるかどうかは自分次第だから「自衛」してね(内閣を批判した天罰) ③国民なんかより、目先の選挙が何より優先です(何がなんでも憲法改正) ってメッセージですね。

「新しい生活様式」ってなんですか?なぜ、「新しい生活様式」が必要になるのですか?それがどのように、私たちのためになるんですか?
(6月のメモから再録)

「災害救助隊」を新設すべきではないか

過去数ヶ月の少ないブログを読み返してみると、コロナ(Covid19)関連のことしか書いていない。「コロナ頭」などと、他人を見下したような語を使ったりしているが、自分こそコロナ頭に浸かっていたのかも知れない。とはいえ、やはり誰にとっても目下の主要関心事であることは確かだから、これからも書くには違いない。

阪神淡路大地震以後、いくつかの大きな災害が強く記憶に残る。東日本大震災の復興は今も道半ば。現在進行形の令和2年7月豪雨の様子は見聞きするだけでも胸が痛む。ここ数年の記憶だけでも
・2019年、台風19号、15号:特に関東で長引く大きな被害をもたらした
・2019年、九州北部豪雨
・2018年、北海道胆振東部地震:全道295万戸が停電
・2018年、西日本豪雨
・2017年、九州北部豪雨
など枚挙にいとまがない。その度に自衛隊の出動、体育館に段ボールを敷いただけの避難施設のむごたらしさ。ボランティア頼みの災害支援体制。

日本の災害時の避難所の実態は、世界の「驚愕」と言われている。「失笑」「批判」のレベルではなく、「信じられない!」レベルらしい。少し前まで世界第2位、第3位の経済大国などと胸を張っていた日本の、しかも毎年繰り返し、「想定外」など想定できない、すでに「ルーティン」化した災害避難がこのありさま。ベッドが無いなんてありえない、と工夫してもせいぜい「段ボールベッド」。段ボールから発想が抜けないのだ。私たちは、まるで今も第二次大戦中のような我慢・我慢の経済大国?に住んでいる。もう恒久的な体制を考えるべきではないだろうか。

東京、大阪、愛知、埼玉などで連日のようにコロナ感染者数が最大を更新し続けている状況で、観光旅行を奨励する「GO TO トラベル」政策。観光地の側も期待と不安のジレンマに陥っている。囁かれる次回衆院選のための、なりふり構わぬバラマキだろうと推測する。その予算 1.7兆円。あまり性能が良くないと言われているアメリカ製戦闘機を100機以上、止めてよかったイージス・アショア。それら全額を投じればお釣りがくる。防衛予算だけでなく、税金の無駄な使い方を改め、専門の、恒久的な、自衛隊レベルの「災害救助隊(名称はどうでもよいが)」を、「自衛隊とは別組織として」今すぐ作るべきだと思う。