薔薇の「練習」

薔薇のデモ制作(水彩・F4)

今朝(2023.04.13)、ラジオからJアラートの警報が全国に響き渡った。「北朝鮮からの弾道ミサイルと思われる物体が北海道に向けて飛行中。午前8時頃に北海道に落下する模様。ただちに避難してください!」。運転中だったが「頑丈な建物、または地下鉄、地下室などへ避難」と具体的だったので、本当かと驚いた。

結局、岸田首相が「我が国の領域内に落下していないことは確認している」で終わり。途中までは飛行物体は2個あるかのような発表もあったが、それもなかったことに。

これは防衛予算を大幅アップしたことを国民に納得させるための(一部)フェイクニュースではないかと、疑った。ここ数日、盛んに報道されている陸自の幹部を乗せたヘリコプターが墜落した事故についても、一時は「中国軍云々」の話も出て、いくらなんでもそれはないだろうと思ったが、その時もその話の出どころは防衛予算絡みのところからではないかと想像した。 
 今回のミサイルに関する警報を、防衛省が本当にそう信じていたのだとすれば、それはそれで航跡の計算が実に幼稚なレベルにあることになり、果たして「敵基地攻撃能力」など持たせていいものかと心配になる。早まって、ありもしない攻撃に対して「反撃」し兼ねないからだ。「ちょっとした間違い」では済まない、恐ろしい話。

薔薇のデモ制作。薔薇を描く練習。最近特に話題のチャットGPTなら、「白っぽいピンクバラ、やわらかい感じ。緑の葉の中に浮かぶように」などと話すと、たちどころに数枚の薔薇の花を“描いて”くれる。もう練習する必要などない。少なくとも「描くこと自体が好きでないならば。」絵を発表などする時代は終わってしまった。技術の進歩は早い。あと数年もしないうちに、きっとそうなるだろう。その時やっと、「絵は自分自身のためだけに描くのだ」ということが実感されることだろう。

リテラシー

写真(YouTubeサムネイル)を見て。この、ブルーっぷり。ブルル、こんな陽気だっていいうのに寒気がするようなサムネイル。なんで、こんな陰気な動画なっちゃうのかと、自分でも悩むんですね。

誰も見てくれなくてもいいから、「自分は自分の仕事を全うしたい」と思うとこうなっちゃうのかな。「けじめをつけなくちゃ」と思ってるんだね、それが「昭和世代」の特徴だと言われるけれど。で、(肝心の)ケジメがきちっとつけられたか、って訊かれると「よくわかりません」っていうんだからどうにもならないサ。

それぞれの分野への適応能力を「リテラシー」というらしい。たとえば「情報」分野なら、情報への興味、関与の程度、適応能力など。だから、同じ「リテラシー」でも、「世界のセレブとの交際リテラシー」なんかの“能力ゼロ”でも、わたし的には全然困らないが、ワクチン接種だの、国や自治体への申請だのがインターネット経由だと、一定の「リテラシー」がないと、市役所へ行ってイライラと職員を怒鳴ったりする羽目になる。

そういうわけで「スケッチのリテラシー」らしきものを身につけさせたい(上から目線か)という(わたしの)願いは、現代の情報リテラシーという見地からは、“著しく”逸脱・時代遅れになってしまっている。現代ではデッサンの修練などより、カメラの勉強、をし、プロジェクターでも何でも使えば、いかに写実的なデッサンでも、誰にでもできる道が開かれている。それを文明の発達というんじゃないの?そ、その通りだね、うん。
 「シルエットから描く」なんて、タイトルがすでに、自ら時代遅れだって宣伝して回っているようなものだった。もっと情報リテラシーを身につけなくちゃだめですね。あ~あ。時間がないと言いながら、こうして意味ないことに時間も体力も浪費してしまっているんでしょうか・・。

AI と技術・感性

Apple-海を渡る(部分・制作中 04/03)

絵は上手にならなくていいと、わたしは何度も言ってきたし、実際にそう思っている。画家の中にもそう思っている人は少なくないと思う。

けれど、ネットを見ていると、むしろ細かい技術ばかりにニーズがあるように見える。「〇〇の描き方」「〇〇の使い方」のようなコンテンツの視聴率が高い。これが実際のニーズを反映していると思うか、チャットGPTに聞いてみると「ネットでのニーズが実際のニーズかどうかはわからないし、ネット上でもそれが本当のニーズではなく、単なる興味本位、好奇心だけであるかもしれない」云々。でもまあ、ネット上では少なくとも「技術」「ハウツー」「エンタメ」に興味が集中していることは確かだ。

「絵画(芸術)は技術だけでできるものではない」と謂われ、わたしもつい最近までそう思ってきた。だが、直近のAIの進歩を見ると、人間が「技術だけでないもの」をはたして判定できるのかが心配になってきた。「人間が望む『感性』も(数秒で、いくつでも)与えてくれる」ことが明らかになってきたからである。「自分の感性」などと言っているうちに、「AIに教育された感性」を自分固有のものだと思いこむ状況になりはしないか。

技術も感性も、方法は異なるが磨くことはできる。技術の方が磨きやすいが、いずれはどんな技術もAIに追い越されるのは確かだ。感性はどうだろう。いまのところAIは人間の域には達していないらしい。AIの登場で人間はいずれ仕事をしなくなる(できなくなる)。感性を磨かない人間はどうなるのだろうか。絵はだいぶ進んできた。考えがまとまっていないところがまだ少しあるので、やはり締め切りギリギリまでかかるかな。