絵画講座・陶芸講座の廃止

Untitled (part) f15 Mixed-medium 2011

今年度一杯で絵画と陶芸の講座が廃止になると、受講者全員に大学から通知が届いたようだ。ほとんどの人は寝耳に水で、ショックを受けた人も少なくないと思われる。

実は講師が廃止の通告を受けたのは6月の初め(第1週から2週にかけて)。意見を求められたのではなく、決定事項を告げられ、了解を求められただけだった。当然のことながら詳しい理由説明と、しかるべき手続きがなされるべきではないかと反論したが、結局決定は上からの指示であり自分は詳しいことは知らない、知っているとしてもそれをこれ以上説明する必要はない、ということだった。納得はできないが聞くだけは聞いたことにして、とりあえず考えもまとまらないので、発表はしばらく待って欲しいと伝えてその場は終わった(発表の件は翌週撤回した)。

いつ、どういう形で受講者に伝えたらいいか、大学内の別施設を使って講座を独立した形でできないか等、絵画・陶芸の講師間で何度か話し合いが持たれた。その間、なんとなく廃止の件は伏せることになってしまったことをここでお詫びします。講座期間中に責任者から直接話があるものと思いこんでいたこと自体も今では甘い考えだったと痛感している。最後の2クラスだけ、自分の口から告げることができた。

絵画には基本的に部屋さえあればいい。プロのアトリエの多くは決して小奇麗で上品な場所ではない。多くは戦いの場所であり、作業の場である。夏は40度、冬は手も凍えそうな、冷暖房の無いアトリエもたくさん見てきた。それでもスペースさえあれば作品はできるのだが、受講者の皆さんにそれを言っても始まらない。それに、それでは苦痛ばかりで楽しくない。絵画講座の廃止が言い渡された以上、個人の絵画教室として再出発するつもりだ。大学のようなゆったりした環境は他では絶対臨めないかわり、もっと弾力的に外に出たり、見学会をしたり、各種のイベントなどこれまで大学ではできなかった楽しみ方をしてみたいと考えている。その意味では厳しさの中にも、新たな可能性もあると感じている。   2011/7/1

がんばろう、自分。

The man in shelter  210*270cm 2011

今年の晨春会展の出品作。「少しずつ、制作が進んでいます」でさわりだけ紹介した作品だ。シェルターの中で、ご丁寧にもカプセルに包まれている。見る人はきっと福島原発から空中に放散された放射能との関係を読み取るに違いない。

実は、カプセルのアイデアは「花粉症」対策のヘルメット?から。花粉はそれ自体が小さな一つの生命体。それが体の中に入り込む時、それぞれのDNAとの関係が、さまざまな問題(長い目で見れば必ずしも悪いとは限らないのだが)を引き起こす。時には進化との関係で、革新的あるいは破滅的な影響を与えないとも限らない。放射能のような単純な悪影響だけのものとはレベルが違うのだ。が、放射能問題は生活の問題、つまりお金のことがストレートに関わってくる。生活の深刻さに誰しもが他人事でなくなるから、つい、この絵と放射能を結びつけてしまうのだろう。

3月11日から既に100日以上経った。既に?いや、まだたったの100日しか経っていないのだ。復興だ、この機会に新しい産業構造にシフトせよ、未来への都市計画を云々・・。この国は悲しむ暇さえ与えてはくれないのだ。1年間くらい、国民すべてが喪に服すくらいの気持ちがどこからも生まれない国だ。こんなことをしていては日本経済が駄目になってしまう・・という経済界の声、それしか聞こえない政界の耳。石原幹事長、国民的ヒステリー状態というのはこういうことを指すのだよ、分かってないんだな。

悲しみは泣くことによって解消されるのだそうだ。泣く事のできない悲しみは、一生、心に焼き付けられてしまうという。思い切り泣くことで、はじめて心が解放され、生きる希望が自然に湧いてくるということは現代心理学の定説だ。なのに、マスコミやこの国のエリートたちはこんな常識も無い、というより発想が無い。金を与えれば悲しみは消えると思っているらしい。

がんばろう、日本。もう、やめてくれないか?君はもう、一人じゃない。それも止めてもらいたい。そうではなくて、もっと正直に、自分の胸に直接聞くことが大事なんじゃないか?震災でなくても、人にはいつもそれぞれの悲しみがある。だからこそ震災にも共感できるのだ。まずは小さく自分の心にエールを送ろう。「がんばろう、自分」って。

それにつけても

Astronaut (part) f4 Mixed-medium 2011

昨日AKB48の総選挙結果が発表された、そうです。ネットでは何度か目にしたが、全部で何人いるのかさえ分からないし、個人名も曲名も全く知りません。2軍も3軍もあるらしいから、すごい数のメンバー?なんだなあと思うくらい。あるテレビでは「社会現象」と呼んでいたから、もしそうだとすると、私は社会現象に興味を持たない、世捨て人ということになりそうです。

スペイン・カタルーニャで村上春樹氏が文学賞を受賞し、そのスピーチに原発問題を取り上げ、脱原発と「効率偏重」主義からの脱却の2点を強調したと、少し話題になっている。その前にイスラエルで同様の賞を受け、そこでのスピーチも話題になった。今回のスピーチ全文を読んだが、別にどうというほどのものでもない。でもそれが話題にされること自体、さすがノーベル賞候補№1ということですね。私には、サイン会で女性読者が次々とキスを求めるのでえらく時間がかかったという話の方が、いかにもスペインという感じがして面白かった。

それにつけても日本の政治家って、どうしてここまでピントが外れているのか不思議でならない。震災対応をしていないわけではないし、事故の収束に向けて努力していないわけでもない、予算は必要だから成立を急ぐのは間違ってはいないのだが、的を射ているとはとても思えない。お腹が空いているのに食堂のサンプルの前で料理のうんちくを自慢しあっている感じ?しかも実際に食べたことのある人が実は誰もいないとか・・。そのうえ後ろに並んで怒っている人たちのことなど全然見えず。要するに困った人たちだ。被災地でも変な地元優先意識や、縄張り意識が芽生え始めているとも聞く。枝葉に捉われない、子どものような真っすぐの目を彼ら政治的白内障患者に移植してやりたいという感じです。    2011/6/11