石破退陣

       「Chloéにて」  ペン・水彩

石破首相が総理を辞めることになったらしい。せいぜい今の自民党の中では、石破氏が最も国民目線に近いと考えていたので、個人的にはもったいなかったなあ、と感じるところがある。

石破氏は党内随一の政策研究家、と政界以外の多くのところでも言われていたらしい。それは自身の派閥が小さかったからでもあろう(カネの成る木を持っていなかった)。数(カネ)の力ではなく、政策で競うしかなかったこともあろうが、個人的にも政治家はそうあるべき、と確信していた節が随所にある。いまさら言っても始まらないが、その真面目さが安倍・麻生(派)の反感の素でもあったように見えた。古過ぎる日本政治の一面をあらためて見る想いがする。

指数・定義

「上昇気流」試作 雲をテーマにしたいんだけど、そうなってませんね・・

暑い日が続く。それも「危険な暑さ」で。ところで、“危険な暑さ” って何度から?とAIに聞いてみた。
 ―AI曰く【危険な暑さを知るには気温だけでは不十分で、湿度なども加えた、総合的な「暑さ指数」(WBGT)というもので判断される。「危険な暑さ」というのはWBGTが31℃以上のことを指す。ちなみにWBGTが28℃以上で「厳重注意」。25℃以上で「注意」。25度未満でも激しい運動、重労働などでは熱中症に注意する必要がある】そうです。

まずは「WBGT」ってなに?というところから。Wet Bulb Globe Temperature の頭文字を並べたものです。直訳?すると「湿球、黒球、乾球温度」。乾球と言うのは、一般的な温度計のこと。湿球と言うのはそれに湿らせた布を巻きつけ、布から水分が蒸発するときの気化熱によって下がった温度を測るもの。その差で湿度を計算します。黒球は、光を反射しない塗料を塗った銅の球体のなかに温度計を入れたもので、地面からの輻射熱などを測ります。

要するに、その3つの値を総合すると、「暑さ指数」なるものが計算できるって云うわけですね。なるほどと、納得する人もしない人もありそうな説明ですが、わたしにはピンと来ませんでした。「暑さ指数」というものの有効性(詳しく記述することは避けるが)もそうですが、WBGTの31℃と、普通の気温との関係が「暑さ指数」という一つの(確率論的な)単語で閉ざされてしまっています。それが信用できないんです。
 かつて、「不快指数」という気象用語ふうな言葉がありました。気温、湿度が高くても、そこに適度な風があると、暑さ感覚が若干「癒される」という、感覚を加味した「指数」だったと記憶していますが、最近はもう聞くこともありません。嫌味で言うのではありませんが、人々の「不快感の内容」が複雑化し過ぎたせいではないかとも感じます。

「指数」というのは、研究者にとってはとても便利かつ(経済的?)価値のあるな語で(行政にとってはさらに)、「これとこれとあれを按配して○○指数と定義します」といえば、とりあえず認められる。そうしないと、その先へ論が進めないから当然ですね。そのあと、定義したデータと実際のデータとの整合性を調べていく過程で、「なるほどね」感が得られれば定着していきます。でも、よく考えてくださいね。「これとこれとあれを按配して○○指数と定義します」なんて、誰でも勝手にカスタマイズできてしまうんですよねー。「AIで示される定義ってそんなもんなんだー」って、思っておくくらいが、ちょうど良さそうですね。

知恵なくば死を

「自転車の姉妹」試作1

ごく当たり前の話だが、「戦争をした方がいい」と口に出して言う人は少ない。誰もが「一応は」平和を望んでいる、かに見える。少なくとも表面上は。たまたま終戦の日前後に、トランプ・プーチン会談があったから、余計なことを考えていた。

戦争が終らない、無くならないのは「戦争をしたい(させたい)人がいる」からだ。現代社会では、歴史だの民族だのと理屈をならべながら、戦争開始のための結論としては「(我々の)平和を害する敵がいるから、自衛のためにそれを排除しなければならない」というワンパターンに行きつく。ウクライナ戦争しかり、イスラエルのガザ侵攻、イランへの爆撃しかり。すべては「自衛のため」。それには誰も逆らえない「魔法の言葉」。自分たちの“自衛”を口にしさえすれば、相手を皆殺しにしても構わないかのようである。そして大きな武力を持つ方が戦争をしかける。武力の小さいものはゲリラ戦を戦うしかない。

予想通りトランプ・プーチン会談は “ウィンウィン” というより “ラブラブ” だったらしい。プーチンは言いたい放題で、トランプは “恋人” への「白馬の騎士」になれて大満足の様子に見えた。「ウクライナをプーチンにプレゼントすれば、すぐ平和になる」とばかり、「ウクライナが存在するから戦争が起きる」というプーチンの狂った言い分を100%鵜呑みにした。当然プーチンは頗るご満悦のご様子。アラスカはロシアの植民地だと言わんばかりの、まるで自国のクレムリン宮殿で記者会見しているかのような、リラックスした雰囲気であった。
 トランプはプーチンの前ではエカテリーナ女王を前にした門番のようにかしずくばかり。さすがに米国内でも、世界相手に関税戦争を吹っかける、傲慢なこの男の、この真逆な態度はどこから来るのか、と疑問の声もあがってきているようである。

「文明は(不可逆的に)進歩するが、文化はそうではない」とは誰の言だったか。いま、ロシアは文明的にも進歩というより退化し始めている(ように見える)。西側先進国(自らを「先進国」と呼ぶ、思い上った(そして恥ずかしい)言葉が笑わせるが)もまた、「アメリカ病」という長く沈殿していた悪い埃を吸っていたうえに、さらに「トランプ・プーチン病」という流行病に自己免疫反応するなど、胸(もしかすると「脳」?)を悪くして死にそうだという。―ある意味で、民主主義の自業自得―知恵なくばいっそ死をたまえ。