国展を見よう-あとはぼんやり過ごす

5月1日、国立新美術館で国展を見た。国展は国画会という大きな団体が主催する美術展。知人もたくさんいるが、珍しく2人にしか会わなかった。メンバーでさえ、あまり出かける気分にならないのかなと思った。内容は、さすがにあまたある団体展の中では随一と思う。表現意識も、技術レベルも幅の広さも深さも現在の日本の頂点にあると思う。

彼らの絵を見たら、嫌なことを忘れていた。沈んだ気持ちでいても火を点けられる。負けられないとかいうのではなく、こんな風に頑張っている人たちと仲間でいるためには、自分ももっと頑張らなくては、そして彼らもまた頑張れといってくれているように感じる。彼らの絵の力だ。

連休は遠くにも、近くにも遊びには出かけたくない。渋滞も嫌だし、駐車場を探すのも嫌だから。子どもが小さい頃は、何とか楽しい思い出を作ってやろうと無理しても出かける、まあ平凡な思考の父親だったが、子どもが大きくなった最近では、平凡さに無気力が加わり、ちっとも出かけたいと思わなくなってしまった。

震災以来、私の内側も、外側も変わった。気持の上でも嫌なことばかり続くが、それでも無気力はまずい、無理しても出かければ必ず何か面白いものが目に付く。それが大事だと思うけれど、気持がついていけない。逆らわず、こっそりと独りで絵を描いたりして過ごす。絵もまだまだ他人の目を意識したレベルに留まっている。こんなんじゃ駄目だ。自作のつまらなさをじっくり味わうことにした。

スマートフォンを使い始めた

スマートフォン、いわゆるアンドロイドを使い始めた。アンドロイドとは人間の形をしたサイボーグのことだが、それがなぜスマートフォンなのかは、正直よくわからない。携帯電話の代わりに買ったが、これは電話ではないことが分かってきた。

もちろん電話の送受話はできるし、メールも送れる。カメラも付いているから携帯と同じ機能はあるが、要するに小さな、機能限定のパソコンのようなものかも知れない(まだよくわかってない)。でも、一番使いにくいのが電話だという意味で、これは携帯電話ではない。

使い始めは多くの人が失敗するらしいが、私も失敗した。電話をかけようと思わないのに、かけてしまうのである。スマートフォンはタッチパネルだから、上下にスクロールするのに指でスッと撫でるのだが、その指が触れた電話番号に、それだけでかかってしまう。自分が相手にかけていることにさえ気がつかない。かけている意識がないから「もしもし」と相手の声がして、驚き、慌てふためいてしまう。ドギマギしながら、とりあえず話をするが、完全にシドロモドロ。

相手にしてみれば、自分からかけておいて「何これ?どうなってるんだ?」なんて、ふざけてるのかと思うだろう。こっちは冷や汗ドッチャリ。しかも電話の切り方さえまだ分からない。「えい、こりゃどうすりゃいいんだ!?」なんて独り言を言ってると「何言ってんだお前は?酔っ払っているのか?」と相手から電話を切ってくれて、やっと一息。こちらからはどうやって終了するんだろうと、もう一度手にとって、まじまじと画面を見ながら、あちこち触ってると、また別の人に電話がかかってしまう。しかも女性、時刻は午前2時。やばい、これじゃ、ストーカーだあ!と思いながら、またシドロモドロしているうちに、どこかイイところに触ったのか、運良く相手が出ないうちに切れた。

あぶねー、手が震えている。こいつはうっかり触われないぞ、と大警戒。まるでゴキブリをやっつける時のように低く身構えて、なるべく画面の真ん中あたりに触れないように、周辺からソロリとタッチ。無事に電源を切る。しかし、電源を切ったら、何のためのスマートフォンなんだ?

翌朝、子どもに教えを請う。なんと連絡先だと思っていたのは、送着信履歴。連絡先は?と聞くとさわってみれば?思わず首を横に振ってしまう。まあ、こんな風にして、なんとか電話の方法は覚えた。しかし、知らないことを、しゃべるだけで調べてくれる音声検索は便利だ。前途多難、物笑いの種を家族に提供中ですが、そのうちカッコよく使いこなせるようになりたいと奮闘中です。

ブログ始めました

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3月11日東北関東大震災が起こって以来、いろいろ考えていたことが皆吹き飛んでしまいました。震災に遭われた方々の苦痛を思い、多くの方と同じように毎日心を痛めています。被災者の方々に、一日も早く日常生活が帰ってくることを祈ります。また、現場で働く多くの関係者、たくさんのボランティアや善意の方々の活動を知るにつけ、大変なことだと頭の下がる思いです。

実家のこともたくさんの方が心配して下さいました。ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。運良く、(本当に単にラッキーだったとしか言えません)津波の被害から免れることができました。地震直後のテレビを見ながら、少しの間ですが、家族の死が頭をよぎりました。

復興にはおそらく長い長い時間がかかるでしょう。どんなかたちでか、きっと誰にも協力できることがあると思います。私に出来ることを、私に出来るかたちでやっていけたらと思っています。

何が出来るかはまだ分かりません。今のところは募金やチャリティイベントへの参加など考えている段階です。無理せず、継続してやっていけたら理想ですが・・・。