「失敗」について

3/29のブログに同じモチーフの「春の川辺」を載せました。この2枚はそれとは別に描かれたものです。上の絵が一番最初、下が一番最後です。サイズも比率も、よく見れば構図も少しずつ違っています。そもそも元の写真には遠くの家などありません。

一枚目が失敗だったから、2枚目、3枚目と描いたのかというと、それは違います。それぞれに、気に入ったところとそうでないところがあります。だから描くのです。気に入らないところを直す、というのともちょっと違います。それはそれ、これはこれなんです。もう少し良くしようという志向より、こうしたらどうなるか、こういう感じを描けるだろうか、という自分自身への「興味」に近いかもしれません。

同じものを何枚も描いて飽きないか?と言われそうですが、そもそも同じものを描いているとは感じていないのです。川とか木とか土手とか、同じ要素を使っている以外は別の絵を描いている、だから飽きないのです。逆に感覚にピンとこない時、それが最初の一枚でも、 “飽きる” わけでなくとも、途中で興味を失ってしまう時もあります。
 何枚も描けるときは、きっと何かがわたしの感覚に触っているのでしょう。それが何なのか、描いてみなくては分からないのです。

ペンの味わい

             「ヨットハーバー」 ペン・水彩 F4

長く描いているペンスケッチだが、最近また自分の中でちょっとした「マイブーム」になっている。小サイズのスケッチブックに始めると止まらなくなる。先日は一日でスケッチブック一冊(17枚くらい?)を描いた。まだ、これくらいできるんだなーと、ちょっとだけ自信回復した。

野外スケッチでは過去に一日で100枚くらいは描いたことがある(一週間で500枚弱)。写真を撮るよりスケッチの方が早い、などと自信満々だった頃の話。早朝から日暮れまで、一か所から前後左右を描き、歩いたり走ったりしては描き、車で移動しては描きのスケッチ三昧。このときの記憶は今でも鮮明だ。若かったし、楽しかったなー。今では走ることなど思いもよらぬ。

ペンの良さは、何といっても、かっちりした線の強さにある。鉛筆のような柔らかさ、繊細さは望めないかわりに、彫刻の鑿あとのような「一回性」の潔さがある。いちど紙にペンを置いたら、消すことはできない。それがペンの “清潔感” にも繋がっていると感じる。(「消せない」ことが欠点だと思う人には、「消せるペン」というのも売ってます)。鉛筆の柔らかさと、ペンの強さ。一枚の絵の中ではなかなか併存できないのも面白い。

不在

         習作-ペン・水彩 SM
       「不在」 水彩 F4 

スケッチブックの上にザクロが一個、わたしの帰りを待っている・・ような情景。小さいサイズの絵だから、普段は習作など作らず一発勝負で行くが、この場合、背景がごちゃごちゃしていて整理が必要だという要請と、最近ペンがまた面白くなってきたせいもあって、迷わずエスキース(習作)を作ってみることにした。

結果はそれが正解だったようだ。ほぼ黒の明暗だけのシンプルな背景になった。