「夕焼け・駅近く」

「夕焼け・駅近く」エスキース1
同エスキース2
同エスキース3

「夕焼け・駅近く(「踏切近く」にすると、なんだかナマな感じがするんだよね)」というタイトルで、夕焼けの絵を描こうと考えている。いろいろ考えた中で3つの素材をひとつの構図にまとめ、3つのアイデアで具体化してみた。雰囲気としては「旅行中。どこかの見知らぬ地方都市の駅近くを夕方に通過中」。

結論から言えば、どれもこのままでは使えない。が、エスキース3の左側を、このまま1.5倍くらい延ばした構図で試作してみよう、と思う。

「旅情」と「夕焼け」はどこか波長がぴったり合う(合いすぎかも)。何もない美しい空がこの絵の本当の主役になるはずだ。他はすべてがシルエットで、ほとんど説明がないのが、見る側のイメージを搔き立てる(のが理想)はず。鉄道施設はできるだけリアルに描くほうがいい。夢のような風景が、夢ではなく現実であるためには、このリアリティは不可欠。これは絵画的には「説明」ではなく、「必然」。遠景の建物に窓など描くこと、つまり「不必要な細部」を描き加えることを、説明と呼ぶ。でも、一個くらい明かりの灯った窓を描くかも。それは「おまけ」という。

シルバーポイント

「貝がらと小瓶」 シルバーポイント

シルバーポイントとは「銀筆」のこと。といっても一般の人にはたぶん分からない、と思う。純銀を、それより硬いものに擦りつけると、削れてそこに付着する。それが酸化して黒ずみ、鉛筆に似た黒さになる。先端を鉛筆の芯のように加工した銀の棒を使い、自然な化学変化を利用して絵を描くこと、道具、作品をまとめてシルバーポイントと呼んでいる。
 なーんだ、鉛筆の代わりか、ではない。銀は高価なうえ、酸化にも時間がかかる。鉛筆(黒鉛)のように安価、簡単、便利には使えないのである。そのうえ、「下地」という面倒なひと手間が必ず必要だ。逆に言えば、「鉛筆」が文明の道具としていかに優れた発明であったかも実感する(現代ではそれすら不要になりつつあるけれど)。

酸化して黒ずむのは銀に限らない。鉄もアルミも、他にも酸化する金属はいっぱいある。それらを使った描画(材)を総称してメタルポイントといい、それはそれとして使用されているらしい(アルミホイルを丸めて擦れば絵が描けるってことですが)。けれど、画材としてシルバーポイントだけが特別に人気があるのは、なんと言っても「銀自体の持つ気品」ゆえでしょう。腐っても鯛、“錆びても銀”なのだ(喩えが不適切ですか?)。ちなみに「金筆」は存在しないはずです、よね?

写真の絵は制作後まだ日数が経っていないうえ、風が通らない状態にあったので酸化が進んでいない。つまり、まだ“ナマ”な状態にある。酸化したあとが楽しみですね。慌ただしい現代、こんな超スローな制作自体が贅沢な時間なのではないでしょうか。

県展へ行ってきた

「カモメのように(イカロス)」 テンペラ

北浦和の近代美術館へ「埼玉県展」を観に行ってきた。忙しくて?行く余裕がないが、最低限1回は見ておかなければならない。日にちを考えると今日しかなかった。腰が痛く出かけたくなかったうえ、暦の上では仏滅で嫌だったが、雨に降られなかっただけでも幸いだった。

鑑賞しながらいろいろ考えた。まず、絵のレベルが下がっているのではないか、とも感じた。壁が低くなって入選しやすくなっていることと、関係があるのかどうか。人口動態に比例して出品者の高齢化とともに発想が平板で古臭くなっているのか等々。99歳の出品者などが頑張っていることは知っているし、それはそれで立派だと思うけれど、心躍るという意味では、高校生の絵だけが面白く見えた。中高年、負けずにもう少し頑張ろうぜ!