リズムについて

風景 F4 水彩 2011

最近出かけることが少なくなったから、相対的に制作時間が増えてきた。これは歓迎すべきことである。画家には制作のリズムが欠かせない。それを忙しさの中にも維持しなければならないが、いつの間にかみずからそれを壊してしまっていたことが、あらためて見えてきた。制作時間が増えれば自然に自分のリズムを取り戻すことができる。

誰だったか忘れたが、人間とは過去の塊だ、という意味のことを言った人がいる。過去とはあらゆる可能性の廃棄処分場であり、今とは単に偶然とか運命としか呼びようのない「可能性の幻」だ。それでは考えたり、努力することは無駄なのか?― 実はそうなのである。動物は決して努力などしない。努力とは人間を動物から分け、自らが人間を含む他の動物から搾取する存在になるために考え出した政治的な嘘の美名でもある。ところが体のリズムはその嘘を簡単に突き破り、私たちもまた動物そのものである事実を否応なく突きつけてくる。

それは自分に嘘をつかず、過剰な欲望を持たず、真摯なる「無目的(無自覚という意味)」に生きるという、動物のごく普通の姿である。もっとも、これではあまりに素朴な人間・動物観だと言われるかも知れないが、どうも原点はその辺りにあることを忘れ過ぎているような気がしてならない。  2011/7/3

アトリエの友

アンスリウムなど  f6 watercolor 2011/6/4

アトリエの友とは、アトリエの必需品のこと。画材以外の、たとえば制作の前に必ずお線香をあげる人がいれば、それのこと。私の師(彫刻家)はそうだった。もちろん蚊取り線香ではないよ。非常にいい香りの(白檀という香木を原料にしたもの)、長さ30センチはある線香をたて、自分への誓いをつぶやき、確認してから毎日の制作に入っていた。燃え尽きるまで2時間以上はかかったと思う。私も一時真似をして、それより1ランク下の線香を立ててから制作したことがある。とてもいい香りで確かに落ち着き、集中力が増すような気はしたが、お金が続かなかった。毎日1本となるとね。その頃は筆もほぼ毎日1本擦り切れ、年間300本の筆を消費していたから、そちらのお金が優先だったし。・・・今よりずっと頑張っていたなあと思いだすと、ちょっと悔しい。

今はデッキチェアがアトリエの友だ。最近は睡眠時間が滅茶苦茶になってしまい、夜・昼関係なく、いつ眠くなるかわからなくなってしまった。運転中に急激に眠くなり、ぶつかりそうになったことも何度か。夜も眠くなるから寝るというのでなく、寝ないとまずいから寝るという感じ。制作中突然眠くなる。ほんの少し時間を措くと、もう眠ることはできないので時を逃さず急いで眠る。折りたたみのデッキチェアとアイマスクが今は必需品。二か月前は考えもしなかったが。

S氏という画家がいる。顔だらけのユニークな画風で有名だが、この人のアトリエの真ん中には何故か「島」がある。床を海に見立てると、二段ほどの崖を経て上が平らな、二畳ほどの広さの台地状の島に見える。眠くなればすぐ横になるための設備だという。

ある美術雑誌に掲載された、この島に寝転んでいるS氏の写真を見て大笑いした。画家のアトリエとは想像もできない、まるで阿片窟(見たことはない。想像で)に横たわる中毒患者そのままの異様な感じの写真だった。お客とはこの2畳ばかりの島で向き合ってお茶を飲む。男同士ではあまり居心地の良くない島だった。  2011/6/4

ハッチングは癒しの効果?

Capsule-2 (part) f4 Mixed-medium

1か月くらい前から、やたらにハッチングを多用している。ハッチングとは面相筆のような細筆で、細かく線で描き込んでいくテクニックのこと。薄い絵の具を何度も重ねて一本の細い線を描く。つまり一本の線の下には数本、または十数本の線が積み重ねられていることになる。

ハッチングは、油絵技法が完成する前の、テンペラ画に主に使われていた古典技法のひとつだが、現代では描写的、説明的との理由でほとんど使われなくなっている。私自身もここ数年は半ば封印状態だった。なのになぜ今になってそれを多用するのかといえば、頭よりも目と手だけ、時間と手間だけが膨大に必要な単純作業によって癒されるからだ。

震災の衝撃から1か月後、私自身にもひとつの問題が起きた。表面だけ見れば、私自身の判断ミスによる小さな問題のようだったが、その根は深く、私にとってはこれまでにない深刻なものになった。

精神的なショックで絵が全く描けなくなってしまった。人の噂や人の口。他人だけでなく自分をも信じられなくなり、これまでやってきたことがすべて無意味だったのではないかと強く感じた。新たな作品に気持ちを向けようとしても、そのことが頭から離れない。同時に、絵の方から厳しいしっぺ返しを受けたのだとも私は感じた。「生活のために絵画講座や絵画教室などを開き、いつの間にか最優先すべき絵のことをおろそかにしてしまった。これは絵が私に下した罰なのではないか」。

余計なことを考えずに細い線にひたすら没頭できるハッチングが癒しになっている。