ある錯覚

「盛夏浄土」  水彩、F6

教室でのデモンストレーション制作をしてみた。写真にしてみると、「垂直」がかなり傾いていることに気づく。あらためて作品を見ると、この写真ほどには感じないが、垂直線が右に傾いているのは確かだった。

後期印象派の画家、セザンヌの垂直線も10度くらい傾いている。それを指摘している美術書をわたしは見たことがないが、あれは感覚的な“クセ”だろうと思っている。セザンヌの “10度” は、垂直線に対して、どれも同じ角度で傾いているから、わたしは癖だろうと判断したのだが、わたしの場合、よく見るといくらか放射状に開いているように見える。つまり、これは癖ではなく、なにかの原因による「錯覚」だと思う。

水平、垂直にかけては、絶対の自信を持っていたはずの自分の感覚に、ゆらぎを感じざるを得ない。理由はなんだろう。視力が悪くなってきたためか、感覚が鈍くなってきたせいか、視野が狭くなって比較がおろそかになってきたからだろうか、等々。

おそらく一つの原因というのではなく、複合的に重なり合って「錯覚」が起きているのだろう。まあいい。こういうことが自分にも起こるようになってきたということを、自覚しておこう。

「潮だまり」の習作

「潮だまりー習作」 水彩

「潮だまり」の習作。すでに同名のvideoをYouTubeで公開してあるが、これら習作の結果としての作品を、後日あらためて制作したい。習作を作ることはやはり意味があることと、あらためて感じている。

いま、気になっているのは「夕焼け」。ここ数回連続して習作などを取り上げているが、こちらもできるだけ、作品にしてみたい。本当は一枚、大きめの絵を描いてみたいのだが、なかなか気持ちがいま一歩だった。「つべこべ言わず描けばいいじゃないか」と、毎日自分に言い聞かせているのだけれど。

試作

下描き
      「夕焼け・駅近く」試作   水彩

細かい下描きなのでフィキサチーフで定着、そのまま着彩した。構図としては、もっと横長にして、鉄道施設を右から1/3くらいでとどめ、左側を大きく空けるつもりだ、と前回の記事で書いた。そして、やっぱりその方が魅力的だと思う。

この絵でなぜそうしなかったのかと言えば、単純に、小さなスケッチブック(F4)で試作したから。「理想の構図」で描くには、もっと大きなサイズで描く必要があるってことですね。小さく描くよりは大きく描く方が、一般的には容易だからね。

もうひとつ。「理想の構図」では、空が広くなり、グラデーションのテクニックの巧拙が出来を左右する。そのテクニックを探るのも「試作」の仕事。この「夕焼け」、けっして「きれい」とはいえないもんね、もう2段階くらいスッキリ抜けてなくっちゃ。
 そのためにはどうするか、考えるヒントになるのも「試作」の役目。ちなみに、用紙はファブリアーノ紙(イタリア)の中目を狙い打ちで使ってみたが、ピントが合ってなかったようだ。用紙と(自分の)表現との相性はとても大事です。多くの作家は、好みに合った紙が見つかれば、それ以外は使わなくなるようです。まあ、当然といえば当然でもありますが。