波のように / As waves

太平洋 2018/1/1

元日の海は6年ぶり、かな。夕日がずっと沖の雲に当たって輝いている。そこからうねりが押し寄せ、盛り上がり、波になってぶつかってくる。永久に続くエネルギー、時間が見えるように感じられることが、見飽きない理由かも知れない。

ジェット音のような凄まじい潮騒。どんな凪の日でも途切れることはない。波に煽られ、顔に吹きつける海風。こんな凄いことにもすぐ慣れるなんて、どういうことなんだろう。

途切れないエネルギーのそばで、一つの命が消えようとする。ちっぽけなものだ。ちっぽけではあるが、波と同じように全く同じものは一つもない、たぶん。違うということに価値があるならば、波は限りない価値を生み出し続けていることになるが、そうだろうか。人の人生も大同小異。そこにどんな意味づけが可能なのだろうか。

開けましておめでとうございます

元旦 2018

2018年が始まりました。皆さん、開けましておめでとうございます。今年も、今年こそ、の人それぞれに良い年になりますように。本年もよろしくおつきあい下さいますよう、お願いいたしますm(_ _)m

東通村はこんな朝7時を迎えました。華々しくはないが、暖かく、風もない穏やかな朝です。

昨夕、ぷらりと外に出ると鴉(カラス)が川の浅瀬にたくさん入り込んで水浴びをしていました。年越しの清めですかね。その対岸の藪にヒョッと動くものあり、じっと見ているとタカの類です。しばらくして、集まったカラスのあいだを山の方へ飛んで行きました。

図鑑を見るとオオタカの幼鳥のようでした。今日だったら縁起が良かったのですが、まあ、良いことを先取りできたということにしておきます。

大晦日 / Last day of the year

一つしかない村の診療所

今日は大晦日。母はどうやら2018の元旦は迎えられそうだ。もしかすると年末まで持たないかも、という緊急連絡で飛んできた甲斐は、この日を迎えただけでもあるのかも知れない。

ベッドの上の母は、時々死んでいる、と思うほど長い時間、口を開けたままで無呼吸になる。骨と皮ばかりになって眠りと覚醒のあいだをさ迷う。見ている私にできることは、ゴム手袋を着け、口の中に脱脂綿と指を突っ込んで、乾き、固まりかける唾液を拭いとるくらい。話はほとんどできない。

死にゆく人はこうやって、(自分にとって)生きるとはどういうことなのか、考えさせてくれる。たくさんの人の手を煩わせること、それ自体が教育。無駄な死、無意味な死というのは無いのかもしれない。