プルプル

筑波山頂夜の雲

ふと、さすってみるとプルプル。揺すってみると波が伝わる。自分の腹のことである。

体重計は正直に白状した。最近疲れる、と思っていたが、疲れる理由はそこにあった(のかも)。私も人並に、毎日現実に直面させられているが、コレは他人のせいにできない。忙しい→だから疲れる→体重が減る。というはずが、+2kgとはどういう意味だ!

見ないふりをしても、食べた請求書はきちんと目の前にくる。この請求書は高利子が付き、踏み倒すのは危険である。「嫌だなあ」と声に出し、頭の中で「どうすっぺ?」とどこかの方言で考える。実は心当たりがあるから対策は考えてある。それ以外に選択肢は無いのに、グズグズしているのが相撲でいう「時間前」。仕切り直し儀式のあとは、立会いしかない。でも「プルプル」じゃあ…。

先日「ポポ」という珍しい果物を頂いた。「北国マンゴー」といえば近いか?家族は「へえーっ」と一口だけ。好きとも言えないが、不味くもない。モロヘイヤも家族は「へえーっ」。好きとも言えないが、不味くもない。「へえーっ」、好きとも言えないが、不味くもない。それが、プルプルの意味なのかは、「詠み人知らず」。

絵の行く末

東通村・白糠にてー気温18°、強風

8/27(月)〜8/30(木)まで、八月2回目の下北行き。今回は自分の車で運べない、大型の絵だけを下北へ置いてくるため。車いっぱい詰め込んだが、残りが少なくなったような気がしない。

下北は初めてだというから、運転してくれる人に少し観光案内をした。尻屋崎〜恐山など一般コースを一日で済ませ、翌日は漁船を描きたいというので、いくつかの漁港廻り。私もついでに、小さなスケッチブックに20枚ほど描いた。

ペンを走らせている時は無心だが、次の場所を探して歩いていると、何故だか無性に侘しい気持に沈みこむ。天候のせいもあったかも。けれど、色々な意味で「終わり」を感じていたからのようだった。自分自身をも含め、文字通り色々な意味での「終わり」。運び込んだ絵も、恐らくもう二度と誰も見ることはあるまい。残りの絵も近々運ばなくてはならないが、それよりは直接こちらの焼却場に運んだ方が良いかなとも考えた。帰りは700kmあまりを車で9時間と早かった。運転しないのにとても疲れた。

異様な部屋

Apple

大抵の場合、個人の部屋ではその人なりの趣味や、好みのようなものが、全体として感じられる。そこは単なる物理的な空間ではなく、その人自身に感覚づけられた、時には一種肉体的と言えるほど濃密な心理的空間でもある。だから、普通はそこに他人の存在を許さない。

今は住んでいない、両親の部屋を片付けて感じるのは、そういう濃密さが全く無いことの異様さだ。例えば野外作業用の父のアノラックが、袖を広げたまま畳の上に広がっている。その上に帽子、軍手、靴下。さらにその上に別のアノラック、帽子、軍手。その上に丸められた母の肌着、カーディガン類と野外用防寒着のうず高い山。山小屋の物置ではなく、そこは夫婦の寝室なのだ。

一部屋しかない家ではなく、いくつも部屋のあるだだっ広い家に、父と母は二人だけで暮らしていた。父は山から帰って来たその足で寝室まで行き、そこでアノラックを脱ぎ捨て、汗だくのシャツをその上に放り、着替えを引っ張り出して、シャワーもせずにそれを着たまま居間に行ったのだろうか。母もまた、家の周りの草むしりから部屋へ直行し、その上に放るように野良着を積み重ねるだけだったのだろうか。父のアノラックは、剥がされた獣の皮のように広げられたまま、10枚も重なっていた。まるで、父が毎回そこに倒れこみ、身悶えしていたかのように。

玄関脇のコート掛けにもアノラック、防寒着が何枚も重ねて掛けられている。それぞれのポケットに、溢れるほどの100円ライター。全部で100個はあるだろう。たぶんライター置き場にしていたに違いない。汗で変色したままの、いくつもの帽子。絶対に使わない筈のものが捨てられない。新品のまま古くなろうとしていても、使おうとしない。死ぬまで使わなかった「古い新品」だらけ。それも衣類以外はほとんど貰い物だろうに(いや、衣類さえも)。父と母は、自分の好きなもの、好きなことに目を向ける勇気がなかったのかも知れない。電気毛布は6人分持っていた。